被害者意識と自分の正義

最近会ったある人に、モヤモヤするものを
感じたのでワークしてみることにしました。

って書くと、後で必ず何人かの方から
「私のことですか?」ってメールが来るんですが、
ほぼ人違いですし、

私はあくまで自分自身の「鏡」を覗き込んでいる
だけなので、その方の真実とは関係ありません。

自分自身の気づきのためのワークをシェアすることで、
それを読んでいる方にも気づきのきっかけとなったり、
ワークのやり方のヒントにしていただければいいな、
と思うので、書いています。

というわけで、その辺割り切って読んでいただける方は
ぜひ読み進めてみてください。

前置きが長くなりました。

そのモヤモヤの正体は一体なんだろう?
こ~っと見ていくと、怒りのようでした。

怒りは、
してほしいことをしてもらえなかったか、
してほしくないことをされたかで
心がとっても傷ついたときに起こる反応です。

ということは、私はその人からそのいずれかを
された、と感じているわけです。

で、何をされたのかな~?と見ていくと、
ちゃんと伝えたのに、その通りにしてくれなかったとか、
私が渡したものを大切に扱ってくれなかった
(ように見える)とか、いくつかの出来事が
思い当たりました。

一つ一つは「些細なこと」のようで、
それほど目くじら立てて反応するようなこと
でもないのですが、表面上は笑っていても、
内心、微妙に嫌だったんですね。

その微妙な「嫌」が積み重なって、
かなりストレスになっていたようです。

あと、その人に対して抱いていた印象が、
「ルーズさ」だったのですが、それに対して
嫌悪感を抱いてもいました。

自分だって相当ルーズで人様に迷惑もかけている
というのに、人のは嫌なんですね~。笑

そんな勝手な自分を自覚しながら、
なぜこんなにもルーズさが嫌なのか、
さらに見ていきます。

人の中に見るルーズさが嫌ということは、
自分の中のルーズさを否定・拒絶している
ということです。

だから、自分の中にそういうものがあっても、
ないことになっているので気づけない。
自分の中にはないと思っているので、
平気で人を批判したりできるわけですね。

そして、自分の中で抑圧されたものを、
他者に投影して見ます。

だから、その人の中に見るルーズさは、
まさに私が他者に対してそういうことをしている、
ということなんですね。

我が身を振り返ってみると、
人の話を聞いてないって言うのはしょっちゅうで、
右から左へとザルのように流しているときもあるし、

大事なものをぞんざいに扱っているのも、
常々自覚しているところでした。

で、その人がそういう態度を取るのはなぜなのか、
その人の意識に入って感じて見ました。

すると、ざわざわとした心のノイズが
心の内で通奏低音のように絶えず
響いているのがわかりました。

抑えがたい叫び、呻き、言葉にならない諸々の
思いが内圧高く抑え込まれていて、
一言で言うと、心の中が取っ散らかっている
感じでした。

それらが不安定に、時折噴き出してきて、
突発的な何かの行動に駆り立てます。

なるほど、その人の日頃の言動の理由が
腑に落ちてきました。

なぜそんな叫びや呻きを生じているのか。
そこを見ていくと、一番最初に出てきたのは
「理不尽」という言葉でした。

理不尽に自分の心や思いを踏みにじられる痛みが
そこら中に満ちていました。

それらが苦しくて仕方がない。

と同時に、「被害者意識」独特の
バイブレーションも感じました。

確かに、出来事として理不尽に被害者となった
こともあったのかもしれない。

けれど、自ら被害者の立場に突っ込んでいって、
殊更に他者を加害者に仕立てる気配も
濃厚に感じたのですね。

そうして、そういう在り方故に作り上げた
「被害」が、その人の世界観を作る。

たくさんの理不尽な「被害」を受けても
その中で健気にもがく自分、みたいな。

加害者に自分の痛みを責任転嫁しなければ
やってられない。

こんな苦しみの責任をなぜ自分が引き受けなければ
ならないのか?この苦しみは、あいつらが
もたらしたものだというのに!

ヤツラは悪で、健気な私は悪くない!
という自身の「正義」から、決して離れようとしない。

もしその正義を手放して、相手の言い分にも
耳を傾けたとしたら。。。

それはものすごく苦痛を伴うことなんですね。

今、目の前の「鏡」の像はまったくやろうとは
していないけれど、ワークとしては、
そこができるかどうかがカギです。

自分の中の、ものすごく傷ついている気持ちを
受け止めて、さらに相手の意識、言い分にも
触れて行く。

概念としてこれをやるのではなく、
実際にそのエネルギーに触れ、統合していく
プロセスを実行するわけです。

怒り、悔しさ、屈辱感、無力感、悲しみ、
惨めさ、心や体が引き裂かれるような感じも
全て受け止めていきます。

まずそれができないと、相手の意識には
入れません。

そして、相手の意識に入れなければ、
自身の正義を捨てて、被害者意識から脱却することも
できないんですね。

被害者意識が強い人は、同時に自身の正義に
強くしがみついている人が多いような気がします。

ワークを進めてみて、改めて「鏡」となってくれた
その人への気持ちを確かめてみると、あのモヤモヤは
消えていました。

やっぱり、自分の在り方次第なんですよね。

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