私たちはこの社会で生きていく中で、
本来の自分とは別のものになろうとして
頑張ってしまうときがありますね。
周囲から、
あれこれ干渉されたり制限されたり、
色々傷つくような体験をする中で、
在るがままの自分じゃダメなんだ、
って思ってしまうんですね。
そうして、
周りの誰かが要求してくるように
なろうとしたり、自分から、
もっと良く生きられる理想像のようなものを
外から見つけてきて、一生懸命
そのようになろうとする。
そうした懸命な努力の中で、
自分を見失っていく人が
とても多いような気がします。
より良く生きられるように努力することが
悪いわけではないでしょうが、
この自分がダメなんだ!と自己否定して
別のものになろうとすると、
結局、否定したものは受容されるまで
繰り返し差し戻される、
という法則の通りに、
どれだけそうならないように努力したとしても、
その先で見るものはあれだけ否定し続けてきた
自分の側面なのです。
より幸せに生きるための努力なら、
自分を丸ごと、もっと好きになって、
肯定できる方向の努力が良いのではないかな
と思います。
私の感情解放のセッションでは、基本的に
本来のその人のものではないものは外し、
より純粋にその人自身になっていくよう
導いていきます。
何をもってして本来のその人のもの
と言えるかと言うと、
私の場合はエネルギー的に読んでいって、
その人とは異質に感じるものが異物で、
それ以外のものが本来のその人自身のもの
というのが基本の定義になります。
異物は、たとえばたびたびお伝えしてきている
体の中で同居している様々な存在もそうだし、
何者かに埋め込まれたインプラント、暗示、
呪い、契約の類、コントロールの思念などが
これに当たります。
そういうものは、明らかに異質で
その人自身のエネルギーからは
浮いて感じられるのですよね。
ただ、異物だからと言って
いきなり何でもかんでも外すというわけではなく、
入っているには入っているなりの理由があるので
それらが入った時の事情をよく確認して
外していくことになります。
というのは、そういうものがあることで、
その人自身が支えられている要素が
あったりするので、
急に外したりすると、
その人自身が混乱して自分を支えられない
と言うことになりかねないからです。
エネルギー的なインプラントにしても、
安全に外していくには順番とタイミング
などがあるので、害がないように、
注意深く確認しながら外していきます。
また、自分ではない存在が同居している
と言って気味悪く思ったとしても、
その存在に慰められていたり、
淋しさを埋めてもらっていたりする
ケースもありますからね。
「お友達」がいなくなっても
自分で自分を支えて生きていけるように
ならなければ、また同じような存在を
自らから引き入れてしまうでしょう。
さらに、外部からの異物でなくても、
たとえばハートに厚い壁を作っている
人もいれば、
辛すぎる現実を感じなくさせるような
装置を自分で作り出して装着している
人もいます。
これも、本来の状態ではないので、
そこだけエネルギーが不自然に
感じられたりしますね。
このように、
それぞれの事情がある中で、
そうなっているので、
その不自然さを如何に収めて、
その人自身の内なる力が遮られることなく
健全に溢れるようになるか、を見ながら
セッションを構築しています。
一生懸命自分でないものになろう
としている人たちに共通するのは、
まず自身の内なる力の源に
つながれていないことです。
自分を否定しているので、
自身の深奥からやってくる
力や導きなどが受け取れるはずがない
のですね。
だから、無力感、不足感を感じて
どう生きたらいいのかもわからず、
人生に迷ってしまうのです。
こういう人がどれだけ外側に
道を求め、力を求めたとしても、
根本的にその不安定さ、不足感、
力ない感覚を癒すことはできません。
一時、得られたとしても、
すぐにその感覚は失われるでしょう。
こういう場合の根本的処方箋は、
やはり自分自身に帰ること
しかないだろうと私は思っています。
ここが定まれば、
何をやっても大丈夫だし、
自身の血肉にして人生を豊かに
していくことができます。
けれど、ここを外して何をやっても、
積み上げていくべきものの基盤が
不確かなので、容易く崩れ、迷い
結局進んだようでいて何も変わっていない
ということになるのです。
だから、どうあがいても、
自分を否定して別のものになろうとする
努力は、報われないだろうと思います。
真に力強く、生き生きと生命力に溢れ、
幸せでありたいのなら、
ここではないどこか、
自分ではない何者かを求めるのではなく、
今ここに在る、自分自身に帰ること
しかないのです。
どうぞ、傷ついた自分を抱きしめて、
あなた自身を幸せに生きてください。
自分自身を生きる道を、諦めないように。