加害者になるのも被害者になるのも、
どちらも辛いことですが、
加害者になるくらいだったら
被害者でいた方がマシ、と思う方は
少なくないようです。
たとえばこんな感じ。
自分の意見を主張したり、
本音を話すことで誰かが傷つき、
悲しい思いをするくらいなら、
本当は嫌だけれど、
私が我慢すればいい。
心当たりある方、ありますか?
セッションしてると、あるある~!
なパターンなのですが、
恋人や親子、友人や仕事関係など
ありとあらゆるところで見られますね~。
一見、相手のことを思いやっているようにも
見えますが、実はこれ、根っこのところにあるのは
相手が傷つき悲しむ顔を見るのは「自分が辛い」から、
そういう思いをしないように振舞おう、という
自分本位の行動なんですね。
気づいてました?
決して、相手への愛から生まれた行動ではないんです。
自分が感じる辛さを自分で受け止めることができない。
だからそういう辛さを回避しようとしているわけで、
さらに言えば、私が辛い思いをしないように、
どうかあなたは私のせいで傷つかないで、という風に
ある種、相手をコントロールしているとも言えます。
では、逆に相手への愛や、コントロールではない
コミュニケーションってどんなものでしょう?
もし、本当に相手に誠実さをもって思いやり、
愛から行動するのなら、自分に嘘をついた
ところから表現するのは、違いますよね。
まずは自分自身に誠実で在ること。
そのうえで、自身の表現したことの結果に対して
責任を持つこと、ではないかな、と思います。
つまり、上記のようなパターンでは、
自分の本音を表現して相手が傷ついたような
表情を見せたとき、あなたは動揺し、辛い気持ちに
なるかもしれません。
この自分自身の気持ちをしかと受け止めることです。
そのうえで相手に対峙します。
たとえ相手が悲しそうな様子であっても、
あなたは相手のその気持ちに対して、
責任を取ってあげることはできません。
それをすべきなのはその人自身であり、
本人にしかできないのです。
感情解放ワークの基本的柱の一つ
でもありますが、
どんなにその気持ちを引き起こした出来事が
相手によってもたらされたのだとしても、
自身の感情に責任をとれるのは
自分だけなんですね。
これは大原則です。
けれど、私たちはしばしばこの原則を越えて、
相手をそんな気持ちにさせたのは自分なのだ
と思い込み、しばしば自分を罰していたりします。
もちろん、いくら感情の責任は本人に帰するもの
といっても、社会的、道義的、法的責任などから
逃れられるわけではありません。
けれど、それとこれとは分けて捉えるべきですね。
ここをごちゃごちゃにして捉えるから、
絶望的なまでに絡み合ってしまうのです。
ですので、この原則を踏まえたうえで、
自分の感情の責任を引き受けると、
相手の感情の責任を引き受けなくなります。
不思議と、感覚的に分かるんですね。
誰がその責任を負うべきで、自分がすべきことの
範囲はどこまでなのかが。
これは、自分の領域の責任を引き受けない内は、
どんなに頭で理解しても、感覚的には
捉えられず、結局引きずられてしまいます。
だから、まずは自分の責任をきっちり
引き受けることをするわけですね。
自分にそれができると、相手もまた
そうするだけの力があることを信じられる様にも
なります。
それまでは、
私が相手の感情の責任を引き受けなければ、
その人はつぶれてしまう、
とか思えてたりするのですが、
その人にもそれをする力があるし、
大丈夫だって、見えてくるのです。
面白いですよね。
鏡だから、自分ができれば相手もできる姿に
変わるというのは当然なんですけれどね。
こうして、互いに自立した一人の人間同士として
健全な関係性を築けるようになるのです。
それなら、自分に嘘をつかず、
相手にも気を遣って嘘をつくようなことを
しないで付き合っていけそうじゃありませんか?
相手に気を遣いながら、自分にも相手にも
嘘の自分を見せながら相対することの
どこが思いやりや愛なのでしょう?
それまでのコミュニケーションの偽善が
はっきりとわかるでしょう。
そのような関係性では、
長く育み、熟成していくような
信頼関係を築くことはできません。
互いにどこか無理のある歪んだ関係性なので、
遅かれ早かれ、破綻するのが目に見えています。
すがりつくほどに、苦しくなってくるでしょう。
もしあなたの身近な関係性がこのようなもの
であるならば、直ちに改めるべきです。
人生を、このような空虚な関係性に費やすことほど、
無駄なことはありません。
もっと豊かに、互いに満たされ、幸せになる
関係性を築ける可能性はあるのです。
まずは、被害者のポジションに逃げ込むことで
避けようとしている気持ちをしっかりとらえて、
受け止めていきましょう。
そこから、新たな人生が始まっていきます。
最後に、あなたが被害者でいるということは、
相手を加害者にしている、という意味で、
間接的にあなたは加害者である、
ということも覚えておいてください。
健全な関係性を育んでいかれますように。