日々様々な方のご相談をうかがっていると、
どうしても言いにくいことをお伝えしなければ
いけない場面も出てきたりします。
こんなことを言うのは失礼だよな、とか、
ひどく傷つくだろうと思ってしまうと、
無意識にも言葉を選んで、真綿に包むような
言い方をしてしまうこともあるでしょう。
でも、そんなことをすれば、
伝えたいことの趣旨が歪んでブレていきます。
このブレは、ひとえに伝える側の恐れ故のものです。
ブレたが故に、伝えるべきはずのものが
伝えられず、余計な傷をつけてしまうことにも
なりかねません。
例えて言うと、切れない包丁でトマトを切る
ようなもの、と思っていただくとわかりやすい
かもしれません。
だから私は、「お伝えすべきもの」が人間目線で
とても伝えずらいものであるときほど、
自身の在り方を正します。
例え嫌われても、その方がそれで
ひどく傷つくことになったとしても、
それでも自分の発した言葉の結果を引き受ける
覚悟をしてお伝えします。
それが、ヒーラーとしての責任だと思うからです。
そうして、相手の方がどう受け止めるかは、
その方自身の問題です。
そこは切り離して見ています。
ここまで引き受けてしまうと、
不健全に絡み合ってしまいますからね。
その方がお伝えしたことで傷つき、動揺し、
私を罵倒したとしてもそれはそれで
謙虚に受け止めます。
自分の中の動揺や悲しみ、傷ついた気持ちは
私自身が引き受けるべきものです。
そういうものを引き受ける覚悟を持つことが、
自身の在り方を整える、ということです。
そのうえで、「人間目線」ではなく、
「魂の視点」から、これは伝えるべきものだ
と感じたことをお伝えしています。
このようにしてお伝えした言葉は、
人間目線のまま、嫌われたくないな~、
傷ついてほしくないな~と思いながら伝えた言葉とは
明らかに相手の方の受け止め方が違ってきます。
私のこれまでの経験では、言葉の真意を、
みなさん真摯に受け取ってくださいます。
それから、私がセッションでもう一つ
心がけていることがあって、
それは何かというと、
私の言葉を鵜呑みにしないで、
伝えられた言葉をどうぞ、ご自身のハートで
違和感がないか、腑に落ちるかどうか、
何を取り入れ、何を捨て、そこから
どう判断するか、ご自身で精査なさってください、
ということをお伝えしています。
私もまだまだ未熟者ですので、
ひょっとしたら私の見たものが間違っている
可能性もないわけではありません。
私の見方が必ず正しいというつもりもありませんし、
押し付けようとも思いません。
ただ、メッセージを求めてやってきた方に対しては、
私にはこんな風に見えます。こんなメッセージが
伝えられています。とお伝えします。
そして、伝えられたものを「どう使うか」は
受け取った側の責任の領域のことなんですね。
メッセージを受け取るということは、
いわば「材料を与えられた」くらいのもので、
そこからそれを昇華しなければいけないのです。
ここのところを見落としている方、
結構多いんじゃないかと思います。
ヒーラーや霊能者、占い師などにこんな風に言われた
ということを鵜呑みにして、自分はそうなんだ!
って微塵も疑いもせず、
「どう使うか」なんてことは意識もなく、
それにとらわれている人の何と多いことか。
メッセージとは、そんな風に使うものでは
ないのです。
これも、「感じる感覚」を閉ざし、
自身で精査するというプロセスを嫌い、
省いて何かに代行させようという在り方から
くるものではあるのですが、
こんなことをやっていると、
判断能力は眠って使い物にならなくなって
いくでしょう。
眠った大衆をコントロールしようというような
輩には都合の良い状態ですが、
目を覚ましているべきです。
言われたからそうである、と容易く信じてしまうことは
「呪」をかけられたようなものです。
自身の感じる感覚を閉ざし、
自分で判断することを避けるような在り方は、
容易く他者にコントロールを許す在り方であると
心しておくべきです。
私はそのように人に呪をかけたくはありませんし、
かかってほしくもありません。
他者をコントロールすることにも
興味は全くないので。
だから、あなた自身でしかと感覚を開いて
注意深く判断してくださいって言うのです。
それでも、スルーする人はいますけれど、
セッションなどをお受けになる限りは、
そういう在り方をしていれば、
私はしつこくそこは追及します。
依存になってしまうのでね。
依存されるのもするのも、
私はごめんです。
重いし、自分が不自由になるので
一時的にメリットがあるように見えても、
決して良い結果にはなりません。
私が目指しているのは、
その方自身が自分で判断して地に足をつけて
この世界を生きられるような状態に導く
セッションです。
そのためには、閉ざしている感覚をしかと開いて
感じても大丈夫な自分の在り方を整えることが
必須です。
このための感情解放ワークなんですよね。
助けを借りてもいい。
でも、依存してはダメです。
その助けは、自分の足で立つためのもの
でなければならない、と思うのです。