自分を大切にすることについて

自分を大切にするって、よく言います。
でも、具体的にどうやったら
自分を大切にしたことになるのか、
わからない人も多いです。

このブログでもたびたび書いてきてますが、
基本は自分に誠実で在ること、
そして自分を傷つけるような言動はしないこと、
これに尽きると思います。

人にはそういう風であろうと思う人でも、
自分に対してこれを意識している人は
なぜか少ない。

人を傷つけるより、自分が我慢する方がいい
とかいうのが最たるもので、

これは人を傷つけるのは嫌だけれど、
自分を傷つけるのはどうだっていい、
って言ってるようなものです。

安易に自分に我慢させて、ないがしろにしていると、
人からもそのような態度を取られてしまいます。

鏡の法則を通して、
自分が自分にしているように、
人からもされるからです。

自分はどうだっていい存在だ、ということを
周囲に発信しているようなものですからね。

自己犠牲の精神は素晴らしいと言われますが、
自分はどうだっていい、あなたさえ良ければ、
というのは自己犠牲の本来の精神とは
似て非なるものだと思います。

自身のエゴを滅してより大きなものに
自分を捧げ、自分という個我を昇華させるのが
本来の自己犠牲ではないかと思いますが、

自分はどうだっていいというのは、
自分を高めることは放棄してしまって、

他者との間に波風を立てるのは面倒だから
自身を尊ぶ責任からも逃避してしまうような
態度に見えます。

これは、単なる利己的な逃避で、
まったくもって尊い行為ではありません。

ここのところをはき違えている人が
少なくないのでは?と思うのです。

私の母もそうなのですが、
あれほど自分を大切にしなさいと娘に教えていながら、

自分に関しては「いいのよ、私は」と言って
全然自分を大切にしているようには見えないことが
昔から腑に落ちませんでした。

そんな姿を見せられたら、
自分を大切にするってどういうことなのか、
子供ながらに混乱してしまいます。

親をないがしろにして自分だけ良ければいいのか、
というような罪悪感に近いものも感じていたかも
しれません。

自分を大切にすることを教えるなら、
その人自身が自分を大切にして、
自分と良い関係を築いている姿を見せることが
大切だと思います。

さらに言えば、そのうえで個我をもっと大きなものに
昇華させる段階を見せることができたら、
それは最高に素晴らしいことだと思います。

自分を本当に生かすことができなければ、
どうして他者を生かすことができるでしょうか。

自分を卑しめ、傷つけている人は、
本質的に他者をも卑しめ、傷つけています。

そのことに気づき、深く受け止めなければ
なりません。

よく、自分の気持ちをうまく処理できないときに
こんなことは些細なことだ、自分の気持ちは
大したことはない、どうでもいいことなんだ
と言って収めようとする人がいます。

けれど、どんなに些細な、というラベルを貼ろうとも、
その気持ちを感じたということは厳然とした
事実であり、無いわけでもありませんし、
軽んじていいものでもありません。

虫の命と象の命のどちらか重いのか、
という問いと同じで、

体がどんなに小さかろうが、また大きかろうが、
その大きさに関わらず、その命に軽い重いはありません。

どんな気持ちであろうとも、
自身の気持ちは在るがままに軽んじることなく
気づき、認め、受け止めるべきなのです。

自分の気持ちを軽んじる人は、
他者の気持ちもどこかで
軽んじてしまう種を持っています。

出来事の寡少で「そんなことくらいで」と
ラベルを貼って見てしまうのですね。

そうしてたとえば、その人が「そんなことくらい」のことで
深く傷ついたり動揺したりするのを見ると、
イラっと来るのです。

自分は「そんなことくらい」のことで
深く傷ついたり動揺したりしていても
「大したことない」と言って抑圧しているので、

相手がそれを抑圧しないで表現しているのが
許せないんですね。

無意識に、相手にも自分と同じように
抑圧して当然だ、というような思いを
持ってしまうからです。

自分の気持ちを大切に受け止め、応答している人は、
他者の気持ちも大切にすることができます。

ということは、愛する人を本当に大切にしたい
と思うのなら、まず健全な自己愛が自身の中で
育っていないといけないということになります。

自分を大切にすることと、我儘との違いがわからない
というお声もよく聞くのですが、

前者の大前提にあるのは、自分の気持ちをしっかり
受け止め、その責任を取っていることです。

たとえば、何か嫌なことをされたとか気に食わないとかで
怒りを相手に投げつけるのではなく、

不愉快な気持ちを自分の中で受け止めたうえで、
愛をもって責任ある方法で自身のニーズを
伝えることは、我儘ではありませんし、

その言葉に不快なエネルギーが乗らないので、
受け取った相手の反応も、八つ当たりされたときとは
全く違ったものになるでしょう。

我儘は、自分が不快だから、不安だから
あなたにこうしてほしい、あぁしてほしい
と要求します。

これでは自分の気持ちに責任を取っていませんね。

自分を大切にするには、自身に対する気持ちの
責任を引き受けることが必須です。

こういうことができるようになると、
人間としてぐっと成熟してきますね。

自分を心底大切にして、育てていきましょう。

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