このブログでもたびたび書いてきていますが、
人生からのメッセージを放り投げて
スルーしていると、お知らせが大きくなって
戻ってくるということがあります。
人生の深刻な出来事というのは、
大抵その前に何回もお知らせが来ていたのに
スルーしてきた結果、深刻さと重さを増した
その出来事に至っているんですね。
どんなにその出来事が突然やって来たように
見えても、いきなりレッドカードは来ないんです。
でも、私たちはやはりそうまでにならないと、
なかなか重い腰を上げないものです。
そこまで大切なことだと認識していなかったり、
わかっていてもどうしても向き合えなかったり。
でも、気づかせてもらえる人や出来事に
出会えたのなら、それ自体がギフトですね。
そして、それに向き合うことに対して、
背中を押してくれたりサポートしてくれる人が
表れたら、それはもうすごいことです。
そして、それに向き合っていこうと
決断できたとしたら、きっとあなたは
それまでに山のような徳を積んで
ここにたどり着いたのに違いありません。
何十、何百もの過去世を生きて、
ようやくこの人生でそのチャンスを
得たのかもしれませんし、
あなたの家系の何百、何千人のご先祖様たちが
成し得なかったことを、あなたが今、
やっているのかもしれません。
今自分が背負っている荷の重さに
心が押しつぶされそうになっていたり、
先の見えないトンネルを延々と歩むような
心許なさと焦りと不安の中に在っても、
あなたは決して一人ではありません。
これは、例えや比喩ではありません。
あなたの歩みをじっと見つめる
眼差しがあるんですね。
もしあなたが、既にそういう状況を脱して
いるのなら、
過去の辛かった歩みを行く自分に
どうぞ愛と励ましを希望を
送ってあげてください。
今私は、こんなにも幸せになっているよ、
苦しみのただなかにいる時はわからない
かもしれないけれど、
ちゃんと幸せになっているから、
大丈夫だから、って呼びかけてみてください。
あなたのその眼差しと励ましは、
ちゃんと伝わりますから。
他にも、あなた自身のチャレンジを見守る存在は、
思う以上に結構多いものです。
有形、無形の存在たちが、じ~っと見てます。
よく、「見る人はちゃんと見てるものだ」
って言いますね。
人が知らないと思ってズルをしても、
案外それは見られているし、
人知れずコツコツやってきた努力は、
見る人が見ればちゃんとわかるものです。
だから、見えないところも、
見られてるし、知られているんです。
そうは言っても、なかなか100%なんて
できないものですが、
たとえ1ミリでも昨日できなかったことが
できたとしたら。
それが、悔しさと情けなさにまみれつつ、
それでもこんな程度しかできなかった、
と思ったとしても、
そんな思いの中でさえこんな前進を得た自分を
どうぞ祝福してあげてください。
簡単でない状況の中でできたからこそ、
簡単な状況でできたことよりも
ずっと尊く、重みがあるのです。
様々な方のセッションをさせていただいて
しばしば感じるのは、
重い課題を背負っていらっしゃる方ほど、
その時の見た目がどうであれ、
強靭な魂をもっておられるのだな~
というのをよく思います。
誰も引き受けたがらない課題をあえて
引き受けていらっしゃる方もありますし、
何度も挫折した課題に、強い決意とともに
チャレンジされている方もあります。
生きることが嫌だ、生まれてきたくなかった
というセリフもよく聞きますが、
その言葉の奥の思いは、「別」なんですね。
そうでなければ、この世界に肉体をもって
生まれることなどできないでしょうし、
まして私のサロンにいらして、
メッセージを聞くことなんてことは
あり得ないでしょう。
今生の諸々の思いから魂の旅路を辿っていくと、
連綿とつながっている因果の糸に触れます。
今の自分がかく在ることの背後に
膨大な因果が在り、
今この自分がした決断や行為が、
過去と未来を同時に変えていきます。
過去も未来も、固定された不変のもの
ではないんですね。
だから、ほんの僅かと思える在り方の違いが
膨大な領域に波及するのです。
成果の寡少に失望することなかれ。
己の不甲斐なさを、責めることなかれ。
歩みの遅さを嘆くことなかれ。
自らの愚鈍さを嘆くことなかれ。
今ここにかく在ることを、祝うべし。
祝うことから、生まれる力がある。
どこからか言葉がやってきましたが、
存在を祝うというのは、
何か重要なカギ、なのかもしれませんね。
悲しみを祝う。
惨めさを祝う。
怒りを祝う。
情けない自分を祝う。
調子に乗っている自分を祝う。
冷酷な自分を祝う。
無能な自分を祝う。
大嫌いなあの人の存在を祝う。
何でも祝うことができますが、
もしそれができたら、なんだかものすごく
世界が変わって見えそうです。
ものすごいエネルギーの転換を感じます。
赤ちゃんの誕生を祝うのも、
誰かの誕生日を祝うのも、
実は大切な意味があったのですね。
「祝うことの力」を、
ちょっとこれから色々実践してみたいと思います。