有るからこその制限、無いことにしがみつくことの制限

隣の芝生は青く見えるって言いますね。
自分はこんなに大変な思いをして生きているのに、
あの人はいいなぁ。人生に何の心配も
ないんだろう。

そんな風に見えるんですね。
その人が日々どんな思いをして生きているかなんて、
何にも知らないのに。

確かに、人生に何の心配もなく、
順風満帆に満たされて生きている人も
あるでしょう。

そして、自分の人生にはトラブル続きで、
気の休まる暇もない。
心も体もヘトヘトで疲れ果てている。

それが現実の人もいます。

でも、人の人生はどうやっても
生きられないですよね。

自分は、自身のこの人生を生きるしか
ないんです。

それをギフトと思うか、逃れられない
罰だと捉えるか。

どうとらえるのも、勝手です。
好きに脚色して生きればいい。

そう考えると、同じ人生でも
色々なバージョンが体験できそうですよね。

あなたがこの人生の演出家だったら、
救いのない絶望的な悲劇として演出するか、
それともコミカルな喜劇にしてしまうか。
どんな風に作りますか?

昨日はたまたま、立て続けに人生のトラブルに
見舞われた方たちからご相談のメールを
頂いたのですが、

一見トラブルに見えるような出来事も、
調和に向かう動きの一部なのです。

起こってほしくないようなことが続くと
確かに気持ちは凹みますが、

人生は何もあなたに罰を与えたいわけじゃ
ありません。

ただ、あなたが頑なだと、人生に差し出された
メッセージは辛く感じてしまうでしょう。

まぁ、そうは言ってもなかなか、ね。笑

私自身も結構頑ななところがあるので、
そういうところに関しては、もう本当に
砂を噛むような思いをすることもあります。

でも、砂を噛むくらいで磨かれるのなら、
それも良し、と思います。

何としてもそこから気付かなければ
いけないのです。

恥を忍んで、臍を噛む様な思いをして、
自分がバラバラになっても、
何か魂の糧になるものを掴めればいいと
思います。

気分の良い時は意気揚々としますが、
何かあれば、もう自分の情けなさに
身の置き所がないような思いをするときもあり。

何とも未熟な井の中の蛙よ。
その程度のこともわからないでいるのか、
と身の縮むような恥ずかしさを
ぐっと堪えるしかなかったり。

まぁ、無様な歩みよな、と自嘲するばかりです。

けれど、そういう今この自分から
始めるしかないのです。

恩寵は、今この自分から逃げる者には
決してやって気はしません。

逃げなかったらご褒美がもらえるからやる
というようなものではないのですけれどね、

まぁ少なくとも、そういうことは
言えるだろうと思います。

わからなことだらけ、できないことだらけ
なんだけれども、そんな自分でも
歩んでいくと何かは起こってきます。

ポーンと何かが降ってくる。湧いてくる。
飛び込んでくる。

それが一見嬉しいことであることもあれば、
喜ばしくないこともありますが、
必ずそれは、人生からのメッセージなんです。

あなたがそれをどう受け取るのか捨てるのかを
じ~っと見ている眼差しがある。

そして、あなたがどう反応したかによって、
次によこす教材を変えている。

さて、この眼差しというのは一体何者なのか?

ご褒美と罰を与える神なのか?

その存在は、私がその課題をうまくこなせないと
容赦なく罰を与え、神が望む答えを返答すれば
たっぷりとご褒美をくれるのでしょうか?

そういう世界観を持っている人も
少なくないのでしょうけれど、
それだといつまでたっても人生の被害者から
卒業はできないんじゃないでしょうか。

「結局は自分自身なんだよね」って言いながら、
どこか被害者意識を感じさせる人もありますね。

私自身もまだまだそうかな、と思いつつ、
自戒を込めて。

智慧のない暗闇に、智慧の光を。
歩む力のない足に、歩む力を。
忍ぶ力のない心に、忍耐の力を。
希望のない心に、生きる望みを。
カラカラに渇いた魂を潤す恩寵の甘露を。
どうか、与え給え。

もうこれ以上何もないからこそ、
なみなみと満たされるものがやってくることも
あります。

もう本当に自分ではどうにもできないからこそ、
自分を超えた力が自分に流れ込むのに
身を任せることができたりもします。

そういうときに、
自分という制限の殻を打ち破り、
巨大な命の潮流と一体になることが
できたりするのです。

有るからこその制限、
無いことにしがみつくことの制限があります。

今、自分にどんな制限がかかっているのか、
振り返ってみたらいいと思います。

有ること、無いことにどうにも息苦しくなったら、
「自分」と「その他」の境の壁を外してみて、
一続きの世界として呼吸をしてみましょう。

世界にあふれる恩寵が、自由にあなたの中を
行き来できるように。

自分を、宇宙から隔離されたパズルのピースに
しないように。

世界は、私を忘れはしない。
けれど、しばしば私は世界を忘れて孤児になる。

本当はそんなこと、不可能なはずなのに。

自分を再び、戻してあげよう。
一続きの世界に。

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