苦手の壁を越えていくって、
本当にしんどいですよね~。
得意なことは、何の不安も心配もなく
当たり前のように意識しなくたって
さらさら~っとできてしまうのに、
どうにもセンスのないことに関しては、
人一倍の努力をしても、なかなか
結果がついてこないこともあります。
うまくできないからって、必ずしも
努力してないわけじゃないし、
(そういうケースもあるかもしれないけれど)
むしろ人一倍の努力をしているのにできない
ってケースも少なくないと思います。
私自身も結構そうやってドツボにハマるタイプなので、
その苦しさ、よ~~~っくわかります!
そんな失望の中で諦め、放り投げてみたけれど、
やっぱりどうしても気になって心のどこかに
そのことがあるんですね。
そうして他のことに注力して色々学んだあとに、
ふと放り投げたあのことが、ある日突然
わかるようになってた!ってこともあります。
人生は人によって様々だし、ストレートに行くことだけが
正解ってわけでもないんですよね。
寄り道して他のことも知っていたからこそ、
元の道のことをより広い視野でとらえられて、
別のアプローチができたりするわけですから。
つまり、その人にとってはそれが正解なわけです。
すべての人にとって共通の正解の道なんて
無いんですよね。
人生は、何が起ころうと常にそれが
最高最善なのだと思います。
今辛すぎて、そう思えなかったとしても、
その時その時のベストを尽くして
人生を生きていれば、必ずそれが起こった意味が
後になってわかる時が来るでしょう。
その時、あぁこれで良かったんだねって
心の底から幸せに思えると思います。
離婚したって、子供を手放したって、
家を追い出されても、大金を失っても、
失業しても、病気になっても、
大切な人が去って行ってしまっても。
それでもどうか、自分を見捨てないでいてください。
失望のどん底でさえ、自身の人生を祝福してください。
自分だけは、この自分を決して見捨てず、
離れずにいてください。
私は今、この私とともにいる。
そうやって自分とともに在ることによって、
「次」が開けてきます。
惨めさも、悲しみも、どうしようもない情けなさも、
喪失の痛みも、それらは喜びの一部なんです。
深い安堵と感謝と幸せの一部なんですね。
苦しい感情を味わうのは恐いかもしれません。
でも、恐くてもいいので、その恐さをすら
抱きしめて、小さな子供を抱くように、
「恐いんだね」って声をかけてあげたらいい。
恐れることをタブー視する人は多いけれど、
ワークでは、恐れを抑圧することの方が
タブーですから。
怯えるカケラ君も、あなたがお迎えに来て、
抱きしめてくれることを待っています。
それが、あなたが絶対に触れたくない「恐れ」
の正体だったりするんですね。
ネガティブと言われる感情は、
決してモンスターではありません。
傷つき、孤独で見捨てられた子供なのです。
だから、モンスターのように扱うのは
間違いです。
よく、抑圧した感情に触れることを
パンドラの箱を開けるように想像している人も
いるのですが、
開け方を丁寧にしてあげれば、
少しずつ出てきてね、
今はちょっと待っててね、など
交渉もできるんですよ。
個人セッションやワークショップを
お受けになられた方はよくご存じと思いますが、
お迎えに行く気持ちのカケラ君たちは
小さな子供がどうしたら安心するか、
ということをイメージしていただけると
わかりやすいでしょう。
急に居なくならないとか、
無視しない、
気にかけてるよ、とわかるように
声をかけてあげる、
ちゃんと聞く耳を持って話を聞くなど。
自分自身に対して、それをしてあげればいいのです。
自分を大切にするってどういうことなのか
わからない、という方は多いですが、
基本はこういうことじゃないでしょうか。
普段からの自然なその積み重ねが、
信頼と安心感を育みます。
そうして自分の中に、誰に言われたからでもない
自信やどっしりとした安定感が感じられるように
なってきます。
こうした自信や信頼、安定感は、
困難や苦手なことに直面したときに、
じっくりとそれに取り組める下地になります。
簡単ではなさそうだ。
でも何とかなるだろうって思えたり
するんですね。
私たちが困難や苦手に直面したときに、
心の内から噴き出てくる嫌な感覚や感情を
受け止める術を身に着けていないと、
そもそもそうしたものに向き合うことが
できませんし、忍耐強く取り組むことなんて
とても難しいだろうと思います。
どうしても、目を背けて逃げてしまいますからね。
それは、頭の理屈ではどうしようもないことです。
でもそういう受け止める術を身につける前に
まず初めに在るべきなのは、
苦手を克服していきたいかどうか、
という動機の強さです。
克服してどうなりたいのか、
自身の方向性をしっかり確認しましょう。
そのための手段として、ワークのテクニックを
使います。
ここがないと、ワークのためのワーク
になってしまいますから、注意しましょうね。