感情解放ワークでは、
しばしば過去世のビジョンが
見えてくることがあります。
初めての方でも、割と鮮明に見る方は多いのですが、
リーディングと違って自分自身で見るので、
腑に落ちる度合いが格段に違います。
私は、個人的には過去世が真実なのかどうか
というところには全く興味はなくて、
その人がそのようなストーリーを見た
ということ自体に意味がある
と思っています。
色々な可能性のストーリーがある中で、
なぜそれを見たのか、というところには、
その人固有の要因があると言えるからです。
ストーリーはその要因をあぶりだすための
ツールに過ぎない、と捉えています。
だから、前世で親と敵同士だったとか、
今の恋人が過去世の伴侶だったとかは
実はどうでもよくて、
そのストーリーの中でわだかまっている
様々な感情を統合していくこと自体に
今をより良く生きていくカギがあるのです。
私の関心があるのは、そこだけですね。
過去世のストーリーにロマンを感じたい人
も少なくないと思いますが、
殊更に過去世のストーリーに引っ張られて
今を生きることがおろそかになってしまう
のだとしたら、本末転倒なことだと思います。
過去に縛られることはありません。
けれど、今に本当に深く深く向き合ったならば、
対峙すべき過去もあるとは思います。
過去を封印したまま逃避していると、
そのことが今を本当に生きられなくしてしまう
要因になることはあります。
だから、過去に縛られることはない
という言葉を都合よく解釈して
向き合うべきものから逃避する言い訳にするのは
私は賛成しません。
そういう人が、過去から逃避したまま
では今を本当に生きているか、というと、
どこか地に足がついていない様子を
見かけることもしばしばです。
本当に今を誠実に、丁寧に生きている人は、
過去から逃げてもいないでしょうし、
過去を恐れてもいないでしょう。
本当に向き合っているから、
それが恐れるべきものでないことも知っているし、
自分自身の真の力もわかっているからです。
だから、きちんと向き合える。
故に縛られることがないわけです。
こういうところがなく、
過去に縛られることはない
と言ったとしても、空虚な逃避になってしまうので、
よくよく注意しましょう。
以上を踏まえたうえで、過去世を見ると、
過去世のストーリーは、今生の出来事よりも
かなりドラマティックな場面が出てくることが
しばしばあります。
人を殺してしまったり、逆に自分が殺される場面だとか、
今世では考えられないようなひどい犯罪を犯していたり、
ものすごく悲惨な状況を生きていたり。
それだけに浮上してくる感情もかなり
濃厚なことが多いのですが、
多分、どれだけ予想外のストーリーを見たとしても、
不思議と今の自分につながる納得感があると思います。
あぁ、この感情、いつも感じていたけれど、
ここから来ていたんだ、とか、
日常の中で、自分でもわからずなぜかやっていた
癖や習慣の理由がわかったり。
過去世のストーリーの中で、わだかまっていた
感情を統合していくと、そのストーリーは
とても調和したものに変化していきますが、
それにつれて、今生の現実も実際に大きく変化
していくこともありますし、
状況は変わらなくても、感じ方が穏やかに、
平和になっていったりもします。
自身の内に、たくさんの過去世を見ることの
メリットは、今生のこの姿のアイデンティティに
自分も他人も固定して見なくなるということが
あるかと思います。
どういうことかというと、
今生私は女性として生きていますが、
過去世では男性の人生も多かったですし、
今世は独身ですが、家族を持ったこともあり、
大切な、幸せな時間を過ごしていた時もあります。
あるいは、武士として戦乱の世を生きた中で
多くの人を殺めたこともあれば、恨まれて
殺された人生もありました。
奴隷だった時代もあれば、支配者だった
ときもあり、信仰者として生きた人生の一方で
遊女のような人生もありました。
つまり、今の自分はこうだから、
人から恨まれるはずがないだとか、
人を殺してしまいたいなんて思うようなことは
絶対にありえない、
なんてことは、思えなくなるのです。
色々な人生を生きてきたし、
そういうこともあったかもね。
多分あるよね。
って寛容に見られるようになるのですね。
それから、一つの人生のストーリーに
引っ張られにくくなる。
私はかつて女王様だったから今世も云々とか、
可哀想な人生を送っていたからこうなんだとか
そんないちいちには縛られない。
ただ、無数の人生の中のわだかまりを
統合していく中で、どんどんストーリーは
変化していくので、
どんな悲劇も恐くはないし、
栄華の極みで転落する恐れもない。
そして、他人に対しても、目に見えている
姿だけで決めつけなくなりますね。
その人の魂が歩んできた無数の人生の
重なりを見て、自然とその歩みをリスペクト
するような気持ちにもなります。
あなたも、いろいろ経験されてきたのですね。
私も、様々な人生を生きてきました。
そうして今、あなたとここにいます。
ありがとう。
さようなら。またどこかで。
そんな風に、私たちは永遠の旅路の中で、
出会いと別れを繰り返し、何ごとかを
分かち合っている仲間、なのですね。
今生、あなたに出会えたことに、
心から感謝です(-人-)