私は「こんなもの」で十分な存在なのか?

嫌な人に会うとき、
何だかムカムカしたり
顔を背けなくなってしまう
ってあると思います。

実は、自分に向き合うときに、
こういう状態になっている人って
結構多いんです。

見たくない!プイって感じですね。

自分が嫌い、と明らかに認識している人は
わかりやすいですが、そこまでの意識が
ない人でも、こういう状態になっている
ことはよくあります。

あるいは、日ごろから自分を大切に
している人でさえ、ある部分では
人知れず自分に背を向けていたり
することがあります。

自分自身に背を向けている
ということは、
自分の人生に背を向けている
ということでもあり、また
内なる神にも背を向けている
のとイコールです。

自分で自身の人生を放棄し、
導きを放棄しているわけです。

様々な方のセッションをしながら、
その方の内に内なる神との断絶を
見るたび、

そこに頑ななまでの拒絶と憎しみ、
怒りや悲しみを見つけます。

そこにわだかまったあらゆる痛みの
感情を統合していくと、その断絶が
埋まり、つながりを取り戻すのですが、

最も痛いところに向き合うのは
やっぱり重い腰をあげるような、
ちょっとエネルギーが要る作業
だったりします。

先日、内なる神に頑なに背を向ける方を
見ていて、私自身にもまだこうして
背を向けている部分があるだろうか?
とふと問うてみたのですが、

随分と方向転換してきて絆は取り戻せて
いるものの、ある部分に関して、
ピシャッと心の扉を閉ざしている
部分を見つけました。

そのテーマに関しては、もう随分昔から
諦めて考えることすら避けている。
そんな感じです。

ずいぶん昔ってどのくらい昔なのか
というと、多分いくつもの人生で
そうだった記憶があるので、少なくとも
ウン百年くらいは。。。笑

このままいくと、間違いなくこれまでの
人生と同じ流れになるのは確実なので、
ここらで取り組んでみるか~と
重い腰を上げてみました。(^^;

そのテーマに意識を向けると、
途端に蓋になっているいつもの
「どうせ私の人生には関係ないことだから」
というような逃避の言葉のオンパレードが
わっと出てきます。

いつもはこれで納得させて強制終了
しているわけですが、その奥を見て
いかなくてはなりません。

モヤモヤザワザワする体感覚から離れずに、
じっとその「どうせ」の奥の悲しみや
やるせなさを辿っていきます。

そういう気持ちが生じるに至った
具体的な出来事があるはずなのです。
それが何なのか。

「私にはそれは与えられていない」という
深い悲しみ、胸をえぐられるような衝撃。

私は、幸せの絶頂で大切なものを失った
のだな、というのはわかりました。

無防備に幸せに浸っていた時に、突然
そこから突き落とされるような体験をするのは、
魂がバラバラになるような衝撃があります。

その嫌な感覚をハートの奥で感じていると、
「もう結構だ!」と心の扉をピシャっと
閉じている自分を感じました。

大切にされていると信じていた存在から
不意打ちをされたようで、
底知れぬ悪意のようなものを感じたのです。

「神はこんな風に私を弄ぶのか」と、
崩れ落ちていく感覚と同時に、
胸に鉄板のような重苦しい鎧ができていきました。

この一連の流れの中で、ふと小学生の時の
ある体験が浮上してきました。

授業の時に毎回、ある学校の備品が配られる
のですが、それを班長である男の子が
いつも配ってくれていました。

いつも私には同じ、ちょっと汚れてくすんだ
備品が、班のもう一人の女の子には、
いつも新しいきれいな備品が渡されていたので、

たまには私もきれいなのを使いたいな
と思ってそれを取ったとき、班長の男の子に
「おまえはこっちだろ!おまえなんて
これで十分だ!」って言われたんですね。

普段は優等生の子だったのでびっくり
したのですが、今思えば、その子は
もう一人の女の子が好きだったんですね。

その時に言われた言葉が時折、ワークを
するとこんな風に出てきます。

「お前なんてこれで十分だ!」って。

その言葉の質感が、今回のワークで
出てきた思いにぴったり重なりました。

ずっと魂の底に沈めてきた思い。
私が、その子にこの言葉を「言わせていた」
んですね。

大切なものが無残にも奪われたとき、
ショックすぎて受け止めきれなかった
気持ちを、今ゆっくりと受け止めていきます。

神は私に「善きもの」を与えないのか。
私は「こんなもの」で十分な存在なのか。

足元からボロボロと崩れ落ちていくような
感覚をじっと受け止めながら、問います。

見るのも嫌だった、内なる神を向いて。

こんな思いをしても内なる神を向くのは
結構キツイですが、それでも甘んじて
それを受け入れるわけですね。

神を憎むことで悲しみに蓋をしていましたが、
憎しみの蓋の奥を開いていきます。

ハートが裂けるというのなら、
ちゃんと裂けるように完了させる。

その過程を見届けるということをすると、
その悲しみも憎しみも、終わっていきます。

別にそれをしたからといって、
死にはしないです。笑

ゆっくり、深く呼吸をして
命を満たします。

このテーマは、ちょっと時間をかけて
やっていこうと思います。

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