【ヒーリングテーマ】
内なる神が自分に与えたいように受け取るよう最高最善に働きかける
2月7日実施
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今回は私が一番苦手とするヘヴィなテーマでした
申込んだ後にも、やっぱり怖い、どうしよう、辞めるんだったと後悔をしました
が、諦めて首を据えることにしました
今回は遠隔を受ける前に、ワークしてみました
周りや過去に出会った人への「憎悪」「怨恨」等、こんなにも今生を呪っていたのかと言うほど、ドロッとした苦しみ悲しみが固まって出てきました
KOUさんは、恐らく周りの誰よりも厳しい事を言ってくれますが、不思議と憎悪や憎しみは出てきませんでした(^-^;
仕事帰りの電車の中での短時間のワークでした
思ったより雑踏も気にならず、良い意味で群衆の中の孤独になれました
エネルギーを注ぐと、固体から液体に変わって少し流れ出てくれました
ほんの一部でしたが、取り組むことができました
そしていよいよ受信の時がきました
その最中は差ほど変化に気づきませんでしたが、9時過ぎたあたりから、胸の辺りにモヤモヤが発生し何か出たがっているようなエネルギーを感じました
気がつくと、好きだった曲(山下達郎・希望という名の光)を聴いていました
涙が沢山流れてきました
久しぶりにかなりの量の涙が溢れ出てきました
そこに溢れた感情は、我が身を愛することが出来ない苦しさのようでした
愛を受けとることも出来ず、愛することも出来ず、これが今の真実の私なのだと
その苦しみクンに聞くと、耳を塞いで口をつぐんでとても攻撃的な視線で私を睨み付けていました
「話を聞かせて」「なんでも聞くよ」と問いかけをすると、唾を吐きかけられました
「あんたになんか話さない!今まで何度も裏切ったから!ウソつきだから!」
今まで接してきた、カケラくんより、遥かに意固地で頑固で、私を許せない!と言った憎しみの眼差しでした
夜も遅かったので、ワークは途中になりました
例え途中でも、歪んだ視点や自虐的な精神構造はリセットされていくようで、
隣の芝生的な視界が外れてゆきます
宇宙の法則なのでしょうか
この構造が不思議でなりません
翌日はショックの度合いが体調に現れ、キリキリと千枚通しで下腹部をつつかれているような痛みが走り、お腹を壊しました
私は「真実の愛と信頼」を知らないのではと思いました
「知らない 」と言うことすら、認識出来ていなかった、そう思うんです
なので自身を信頼していない真実も認めることができないのかなと
自身の内側の真実に触れるのが怖くて、逃げては騙しを繰り返していました
破滅する、生きて行けない、その感情が解放にストップをかけているんだと
自分を騙し、偽ること
大切にするどころか、大罪を重ねてきたことが悔やまれます
「どう在りたいか」と問われたら、嘘、偽りない自身で在りたいと
「楽園に行くためのワーク」は終わりにします
自身を怖がらずにしっかりと捉えて、冷えたハートを温め、癒し、強固な根を張ってゆくことが、今の私に出来ることなのだと感じました
そしてこれが自身を愛することなのだと改めて感じ始めました
今週も有難うございましたm(__)m
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こんにちは。
今回も無料遠隔ヒーリングをありがとうございました。
ワークを何度か試してみましたが、身体に意識を向けると反れてしまう事が多かったです。
身体の内側に意識してるつもりが、考えている状態だったり。
もちろん、やる気はありますが、定まらない感じが多かったです。
そこで、お風呂で、身体を清潔にしてよく温めてからワークをしてみたら、悔しさが出ました。「神は助けてくれなかった」という言葉が浮かびました。
神から与えられ受け取る段階ではなかったです。
この感情も、私が家族や人に対して持っている感情と同じです。
その後、意識がすぐに身体から反れてしまい、思考が出てきてしまいました。
最近は、自分の言動の冷酷さや様々な出来事に対して根回しをしている自分に気が付きました。
実は、無意識にやってしまっていた部分が多く感じます。
不思議な事に、卑怯な自分を味わう事が何だか楽しい時があります。「性格曲がってるな」と、実感したらなぜか心が楽になりました。
開き直っている訳ではなくて、気が付く事によって霧が薄くなるような。
神に対してどのような繋がりの感情か今は分かりませんが、出てきた気付きはありがたいと思います。
また、よろしくお願いいたします。
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今回のヒーリングはタイミング的にとてもきつくなってしまったように感じます。
前回満月直後の段階ではまだ私の我慢によっては十分修復可能な位置にいたある人との関係ですが、
私の子供っぽいこだわりのせいか、それとももともと運命的というか避けられないものだったのかわかりませんが、
私がお願いしたことに応答していただけなかったことで関係も自然と切れました。
その人とは知人以上友人未満だったのですが、7年ぐらいと長かったし、その人から受けた影響がとても大きかったので、私としてはまるで失恋をした時のような痛さです。 ずっと第3チャ クラのあたりが痛んで痛んで仕方がありません。
私が譲れなかったポイントは、他の大人ならあえてこだわって取り上げることなく知らんぷりもできたかもしれません。
でも私はそこのところはどうしても譲れなかった。このことが災いしたのです。私のインナーチャイルドが癒されていないからなのか、自分の尊厳を守る正当なアサーションだったのか、時間がたてばわかってくるでしょう。
ただ、私は偉そうに追求できるほど立派な人間ではないことはわかっているし、ましてや自分も似たようなことはしてしまっている。
その人を責めるつもりはなかったのですが、おそらく表現の工夫が今一つだったので責めてるように受け取られてしまったのだと思います。
今は自分の未熟さ、痛みを感じながらこれが神が与えたこととして静かに時間を過ごすしかありません。
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自分の中にジャッジがあるが故に、目の前の人を批判するということが、
繰り返されていて、その根っこを見せてほしいと願いながら瞑想しました。
何故、自分がジャッジするのか?
自分は正しいというものを持っていないと、自分に価値が無いように感じ、
惨めで、無力感にさいなまれるからでした。
そうして、自分をコントロールしないと、相手にコントロールされると思ってました。
だから、相手にコントロールされる前に自分を守ろうとしてのコントロール。
でも、目の前にいる相手をよくよく見ると、それは、鏡に映った自分だったのです。
自分の感覚を広げていくと、細やかな意識が無限に広がっているのを感じましたが、
地上の意識は粗く、固まっていて、
目の前に細やかな視点・意識があるのに、気付けない。見えない。
気付くまで、苦しみが続くのだと感じました。
正しさを握りしめていたい自分。その自分を高みから見ると、
その正しさは、宇宙の真理とは、ずれていて、握っていても意味のないもの、
必要ないものに見えました。
正しさを拠り所にしたい自分。それがないと、自分に価値がなく、
惨めで、無力のように感じます。
自分の正義を振りかざすことで、他者をコントロールしようとしても、
他者の持つ正しさ・大切にしたいものとは異なるので、反発・抵抗が起きています。
正しい自分に価値を与えているのは、自分。
間違っている自分に価値を与えていないのも、自分。と洞察あり。
これは、二元で体験しているだけで、そこにジャッジはありませんでした。
今までと同じように自分をコントロールすることで、安心感を保っていることに気付き、
枠の中にいて、同じことを繰り返している状態。
自分の内側から、外へ出たいとあふれるようなエネルギーを感じましたが、
新しい体験をして失敗した時の挫折感・ダメージを避けるために、その枠を破れずにいました。
失敗した時の自分を受け止める意識が育っていなかったことが、わかりました。
今は、新しい体験を面白がる自分がいます。
失敗から、意識を構築できる自分もいます。
コントロールしなくても、超えていける意識を感じます。
一連のサイクルの中で感じたのは、自分の視点が固まっていること。
閉塞感の中にいることから始まる苦しみも、
高い意識から見ると、何が起きているかわかるのだと知りました。
この瞬間に根付いていけるように、ワークを続けます。
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改めて「神」を前にすると、怖さや自分なんか恩恵を預かれる身であるわけがない。そんな思いが噴き出してきました。
それをじっと感じて見つめていると、怖さなどを握りしめているメリットがどんどん出てきます。
「ね、だからそれを叶えているんだよー」という内なる神の意図も感じました。
そして改めて与えたいものを、というテーマに戻ると、自分の想像出来ないことを受け取ることは怖い。と、やはり委ねることへの恐怖心が。
今回はひたすら、そういった思いを感じていく回となりました。自分だけでは埒があかないかもしれません…^^;
今回もありがとうございました!
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とりあえずバーっと浮いてきて、
ザーッと過ぎ去っていった、
といった感じでしたが、
自然に周囲に連動していたようでした。
ありがとうございました。
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先週のヒーリングもありがとうございました。
「内なる神」に意識を向けたことはほとんどしてこなかったのですが
ふとそのことが自信の無さに繋がっているのかな、と思いました。
これからは、もっと内なる神に意識を向け触れていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
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テーマに関しては惨憺たる結果でした。
“内なる神に触れることが前提”にもかかわらず、
触れるどころか、内なる神に対して意識を向けるボリュームが
圧倒的に少なかったです。
しばらく前の遠隔ヒーリングで、
神に対する不信感に気づいたことがありましたが、
その辺のアプローチをもっと行えば、
内に向かう際の抵抗感がやわらぎそうな気がするので、
やってみようと思います。
テーマの“与えたいように受け取る”という部分で
思うところは、今現在、
ここ数年で最大のモヤモヤ感を味わっていることです。
それは、不安感、焦燥感、喪失感、無力感と自責の念が
混じり合ったような身の置き所のない感覚で、
救いようのない状況に困惑しているのですが、
振り返ってみると、自分は必ず守られてきたことを
実感出来ていました。
どれもこれも、そんなに怖がらなくてもよかったのに、
と後から考えられる出来事だったわけです。
今回与えられているものは、
今までのパターンのように緊張せずに受け取ってみたいと思います。
ありがとうございました。
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今回のテーマとどこまで関係があるのかは分からないのですが、今週行ったワークで感じたことは“いじめ”でした。
小学生の頃に病気(腎炎)で数か月学校を休み、体育も1年以上休んでいたことがあったのですが、病気が治り体育の授業を受けたところ、同級生に比べ駆けっこが遅くなっておりました。
このことで突然“鈍足、鈍足”と行き場がないほどのいじめにあうことになるのですが、この時のことがワークの際にありありと浮かび上がり、特にみんなの後ろで隠れるように罵声を浴びせていた同級生の顔が突然に浮かび、言いようのない憎しみが沸き上がってきます。
この感情は全く終わっていなかったのですね。
この感情に息を拭いかけ、走りたかったのね、と語りかけ走らせてあげました。
みんなの後ろでいじめに加わった同級生の顔が(高校生ぐらいまで成長した顔なのだが)、私の顔面左側にドーンと大きく登場してきたので語り掛けたところ、突然泣き始めたのには参りました。
何らかのことで僕に恐怖と憎しみを抱いていたのですね。
“いじめ”の感情はまだ続きます。日中、外出先で突然女性の感情、容姿についていじめられ、苦しみ抜いた女性の感情が湧きおこってきました。周りに大勢の人がいる環境でしたが、胸のあたりに息を吹きかけながらしばらく感じ続けていました。
当たり前のことですが“いじめ”というのはいじめる側が考える以上に、いじめられる側を生涯苦しめる、もしかすると生涯を超えて苦しめることになるのだと実感した次第です。
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無料遠隔ヒーリングありがとうございました。
自分の現状をそのまま受け取れていない感じがしました。
与えられたものの中で頑張ってきた、とは思っていますが、そんな意図では無かったんだろう…と思います。
なんで私ばかり…1人でもう無理…とか
本当にそうだったんだろうか。
まだその先は分かりませんが、自分の中の”歪めてるもの”を感じました。
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平穏に過ごしている時は、「いい調子・」と感じています。
が、出先で えっ…(T_T)と思うことに遭遇する事が何度か有りました。
…また、試されているなぁ…と、足元を掬うれそうになりながらも、気付かせて戴いたことに感謝しております。