昨日は「内なる神に触れる」特別講座
でした。お集まりくださったみなさま、
ありがとうございます。
今の私が自身の内なる神に心を澄ませ、
できる精一杯のことをお伝えさせて
いただきました。
みなさんそれぞれの立ち位置から、
内なる神というものに意識を向けて
いったのですが、
普段は何となくやり過ごしているところも
しっかり向き合うと、それなりのものが
出てくるものです。
神に裏切られたという恨みや怒り、
自分が神を裏切ったという後ろめたさ、
神に触れるとひどい目に遭うという恐れ
などなど。
隠れていた魂の記憶や感覚を紐解きながら、
絡み合ったわだかまりの糸を丁寧に
処理していきました。
そうして、さらに深く自分自身の深奥に
向き合っていった先に、自ら背を向けた、
あるいは失ってしまったと思っていた神を
みなさんそれぞれのレベルで
多かれ少なかれ触れていかれたようです。
昨日の講座でとても興味深かったのは、
良かれと思って受けていたあるセラピーが
自分の真実の声を覆い隠してしまう方向に
働いていたケースを発見したことです。
その方は、これまでに何度もサロンに
来て下さっていた方でしたが、
ご自身の真の声が取れていないと
以前から私が感じていた方でした。
私の側から見ると、はっきりと
怒りや憎しみ、悲しみなどのエネルギーが
見えるのに、その方に聞くと
いつも全くその自覚がないのです。
それでも、回を重ねるごとに少しずつ
ご自身の中にある辛い感情にも
気づけるようになっていかれたのですが、
昨日はご自身の中にある怒りや憎しみの
感情に全く気付けていませんでした。
最初は、その方ご自身がそうした感情を
感じることを「禁止」しているためかと
思っていたのですが、
色々働きかけをしても、どうしても
その「禁止」が解けず、
うまくエネルギーが流れませんでした。
どうしたものかと思いつつその方の
エネルギーをじっと見つめていたら、
一瞬おかしなエネルギーの干渉作用が
見えました。
何とも表現しづらかったのですが、
その方に
「以前、ネガティブな感情などを消して
しまうようなヒーリングを受けたことが
ありませんか?」
とお聞きしたら、あるセラピーの
名前が出てきました。
それで私の違和感の理由が分かったのですが、
そのセラピーは、それぞれの症状に合わせた
プログラムを体に入れて、不快感などを消す
というものだったんです。
ということは、私がとらえた干渉的に働く
あのエネルギーは、そのプログラムだった
とわかったので、それを解除しました。
すると、その途端にはっきりとその方は
ご自身の怒りや憎しみを感じられるように
なりました。
私のヒーリングでは、感じたものを
在るがままに感じ、受け止めることが基本
なので、感じないでブロックしていると
解放は起きないんですね。
このブロックがようやく外れて、
この方はやっとその怒りや憎しみを
在るがままに生きることができるように
なったわけです。
そして、それができて初めて、
自身の深奥にいます神に触れて
いかれました。
これはとても興味深いケースで、
そういえば今までそのセラピーをやっている
という方に何人か出会っていますが、
思い返せば確かに、ご自身の深奥の声
につながれておらず、解放も起こり
にくかったように感じます。
私は決してその手法を否定するわけでは
ありません。ある状況にいる方には
有用であるケースも確かにあるでしょう。
けれど、ネガティブな感覚を感じなく
なったからといって、決してそれが
消えて無くなったわけではなく、
蓋をされた状態でしっかり残っている
というのを今回はっきりと確認したので、
今後はこういったケースも念頭に置いて
セッションすることができそうです。
自身の深奥と分離され、真の声が
取れていないケースを他にも
振り返ってみると、
セラピーではないけれど、
スピリチュアルな契約が影響している
ケースもありそうだと思いました。
スピリチュアルな契約というと、
清貧の誓いとか、神との結婚などが
有名ですが、
何らかの理由で自分の感覚を消すことを
許可する契約をしている場合もあると
思うんですよね。
思い当たる方もいらっしゃるので、
今度確かめてみようと思います。
そんなこんなで、日々色々なケースに
出合うなぁと、しみじみ勉強させて
いただいてます。
何にせよ、自身のハートの声が取れる
ということは、とても大切なことです。
それは、神とのダイレクトコールのようなもの。
間に何者をも挟まない、確かなつながりです。
昨日参加された方は、はっきりと神の応答を
受け取った方もあったかもしれませんし、
何となく、本当にそうだったのかな?
というくらいの方もあったと思いますが、
本当に深く触れたときは、
疑問の余地は全く、1ミリもありません。
どうぞ、ご自身なりにさらに神との対話を
深めていっていただければと思います。
あなたの歩みが恩寵とともに在りますように。