先日、Facebookのフレンドさんがシェアして
下さっていたこんな記事がありました。
「妖怪は絶対にいません」妖怪を研究して30年の佐々木先生に話を聞いてきた
普段その中にどっぷりと浸っていると
気付けないけれど、日本人は本当に
独特な世界観を持っているのだな~と
気づかされました。
で、この佐々木先生のおっしゃる
曖昧さを上手に受け入れられる世界観は、
私のお伝えする感情解放ワークにも
しっかり生きています。
私たちが何かしらの願いを抱くときに
邪魔する要素になっていたり、
何かと生き辛さの原因になっている
「気持ちのカケラ君たち」は、
まさに佐々木先生の言う妖怪のような存在で、
扱いを間違えると途端に祟り神のような
悪さをしますが、
丁重に扱ってあげると、逆に
私たちにものすごく恩恵をもたらしてくれる
存在なんですね。
だから、カケラ君たちが自分の中で
モンスターになっているとするならば、
彼らに対する自身の扱いが間違っている
ということなんです。
私がよくサロンでお話するたとえ話があって、
ものすごくグレちゃって手の付けられない
若者がいたとします。
けれど、彼らもちゃんと一人の人間として
大切に扱われ、居場所を与えられたら、
実は社会にとってものすごくいい働きを
してくれたりする人物になるという話を
しばしば聞きます。
ということは、元々彼らが悪い子だった
わけじゃないんですね。
周囲の大人たちの扱いが悪いから、
「悪い子」にさせてしまっただけ。
ワークでは、こういう世界観で
カケラ君たちに徹底的に向き合います。
最初は、向き合う私たちも恐くて
腰が引けたり目をそらしたりしていますが、
しっかり肚を据えて、
自分自身の諸々を整えていくと、
カケラ君たちは次々に統合されて、
悪さをしなくなっていきます。
自分の中のカケラ君たちに
ちゃんと向き合えるようになると、
外側の他者にきちんと向き合うことが
できるようになります。
自分の中のカケラ君に向き合えない内は、
本当に他者に向き合うなんてことは
できませんね。
人生の中で起こる問題のほとんどは、
結局、まともに人と向き合って
コミュニケーションが取れないことから
起こっているのではないでしょうか。
ということはつまり、
自分が自身に対して
まともに向き合えていない
と言えます。
であるならば、
本当に自分自身に向き合うことが
できたなら、人生の苦しみなんて
ほとんど解決してしまうような気がします。
仕事にせよお金にせよ
恋愛・結婚、友人関係、家族の問題、
みんな根っこを辿れば、
人との関係性の中で起こってますから。
結局は自分自身の在り方を正すことが
最も大事なわけですが、
こと家族の問題になると、これがすっ飛んでしまって
夫が、妻が、子供が、、、と、問題と見える誰かを
どうにかしようとしてしまう視点に陥りがちです。
サロンにも、いま不登校のお子さんを抱える
お母さんたちが何人も見えていますが、
親御さんが変わると、お子さんも
ものすごく変わるんですね。
問題の起こっているご家族のエネルギーを
リーディングしていくと、問題行動を
起こしているその人だけが問題で、
後はみんなまとも、というケースは0です。
家族間の様々な関係性の歪みが
一番弱いところに表れているだけであって、
自分はちゃんとやっているのにあの子が。。。
ってことではないんですね。
そういう家族は、それぞれがみんな
互いに向き合うことなく明後日の方向を見て、
誰もまともにコミュニケーションなんて
取れていません。
もちろん、自分にも向き合えていないですね。
では、こういう状態からどう家族の在り方を
再構築していくか、と言えば、
どうにかしたい、と思ったその人から
変わることです。
ただ、お子さんが問題行動を起こしているのなら、
まずは親御さんからでしょうね。
幼いお子さんがいかに変わろうと努力しても、
親が変わらなければ、その影響力は圧倒的に
親御さんの方が大きいわけで、
自立前のお子さんがその荷を負うのは
あまりにも酷というものです。
もちろん、成人した方なら話は別ですが。
夫婦間の問題でも、
相手のせいにばかりしていないで、
相手は自身の在り方の鏡なのですから、
その鏡をしっかりみつめて、
自分のこととして在り方を今一度改めてみよう、
と主体性を持って取り組むべきです。
あなたの在り方が変われば、
関係性は変わります。
なぜなら、関係性とは自分と相手との関わり
のことですから、それまであなたが相手に
敵意を向けていたのがニュートラルになれば、
当然、相手の反応も変わります。
そうなれば、あなたの感じ方も変わるでしょう。
相手の感じ方も変わり、相手があなたに向けていた
敵意も、なくなるかもしれません。
何も一方的に自分が我慢して相手を許さなければ
いけないということではないのです。
そう言う考えは、自分の正当性を疑いもせず、
相手を責め続ける傲慢からきているのでは
ないでしょうか。
その苦しみは、相手のせいで起こっている
のではありません。
間違いなく、自分自身の在り方故です。
そのことの意味を、よく考えてみてください。