メリークリスマス!
みなさん、今年のクリスマスは
どんな風にお過ごしでしょうか?
いつも通り仕事だよ~って人も、
クリスマスパーティーはもうやっちゃったよ
って人もいらっしゃるでしょう。
私は取り敢えず毎年このサイトをチェックして
サンタを追跡してます。笑
人はいつまでサンタを信じてるんでしょうね~。
私は、プレゼントの包み紙がいつも
近所のおもちゃ屋さんのものだったので、
絶対怪しいって思って、
幼い頃は毎回、夜布団に入っても
粘って粘って寝たふりをして絶対サンタの正体を
暴いてやろう!って思ってました。
でも、眠いのを頑張って起きていたのに、
両親はサッサと寝てしまって、あれ?と思い、
夜中に何度も目を覚まして枕元を確認し、
まだない、と思ってはホッとし、
また眠る、ということを繰り返して、
どのタイミングだったか、
まだ両親も起きてきていない「はず」の早朝、
ふと枕元に手を伸ばすと、いつの間にか
プレゼントが置かれているのを発見
するのでした。
何とも絶妙なプレゼントの配達具合。
今思うと、両親が子供の寝顔を確認しながら、
よしよし、今だ!っていうタイミングを
見計らうときのドキドキする楽しみなんか
にも思いを馳せます。
子供としては、プレゼントをもらうのは
もちろんうれしいものですが、
両親もきっと楽しかったんだろうな~って。
余談ですが、当時両親はどこにプレゼントを
当日まで隠しておいたのだろう?というのが
いつも不思議で、
押し入れにもないし、めぼしいところは
探しまくりましたが、結局見つけられたことは
一度もありませんでした。
で、大人になってからそのことを呟いたら、
お子さんをお持ちの方からあっさりと
「うちは車のトランクだよ~」って
教えていただいて、謎は解けました。笑
その手があったか~!って。
確かに子供は開けませんね。
そんな、子供の頃の思い出を辿りながら、
受け取ることの喜びと、
与えることの喜びについて
改めて考えてみました。
双方の思いがぴったりと一致したとき、
プレゼントは幸せなひとときを生み出しますが、
しばしば両者の思いがズレることで
折角のプレゼントが余計に悲しい気持ちを
もたらすこともあります。
良かれと思ってプレゼントしたのに、
受け取ってもらえなかったり、
それが元で責められたり、喧嘩になったり。
送った側のダメージも、動機が善意であるほど、
大きいですね。
けれど、与えられたものが欲しいものとは
大きく違ったとき、受け取る側の葛藤もまた
苦しいものがあります。
欲しいのはこれじゃない。
そのとき、それを相手に伝えられるか。
何も言わずに、自分の思いは抑圧して
嬉しいふりをするか。
伝えるにしても、どんな風に伝えるのか。
自分の傷ついた気持ちをそのままぶつけるか、
あるいは、相手の善意は受け取って感謝
したうえで、自分のニーズを改めて伝えるか、
相手を傷つけないようにしたいけれど、
自分の思いもねじ伏せたくない人は、
より高度な対処が必要になりますね。
そもそもなぜ欲しいものと与えられるものが
ズレてしまうのでしょうか?
受け取る側、与える側双方の問題がありますが、
受け取る側は、受け取りたいのであれば、
自分が欲しいものを明確に発信する必要があり、
与える側は、与えたい人が何を求めているのか、
汲み取る観察力と相手の気持ちにきちんと
向き合い、触れることが大切だと思います。
与える側が一方的に自分の思い込みで
自分が与えたいものを与えるのは、
相手の為ではなく、自分の我儘です。
プレゼントの本義が相手の喜びであるのなら、
自分の我儘を押し付けることがどうして
相手の喜びになりましょうか。
もちろん、プレゼントにも予算とか諸々の
都合はありますけれど、与えてやったんだから
喜べって言うのは違いますよね。
よく、プレゼントは、相手のことを思いながら
品物を探し、包装やカードを書いたりという、
そこに込められた時間の全てに価値がある
って言われます。
ものを通して、どれだけ相手に真摯に
向き合えたのかってことなのでしょうけれど、
相手の思いを受け取って、自分なりに受け止め、
そして自分の思いを込めて相手に贈り返す。
通信が現代ほど自由でなかった時代、
そうした行為の重さは、現代とは比べ物に
ならないくらい、重いものだったでしょう。
今では随分お手軽になった側面もありますが、
だからこそ、余計にどんな思いを発信し、
どう受け止め、どう返すのか、という
心の触れ合いを大切にしたいと思うのです。
思いを発信する側も、天邪鬼じゃダメですよ。
してほしいこと、してほしくないことを普段から
愛をこめて、明確に、楽しく発信しましょう。
2019年の年の暮れ、あなたの心が
ほっこり温かでありますように。(^^)