自分自身を祝福することの意義

自分が自分のことを大事に思えるかって、
ものすごく大切なことだと思うんですね。

日頃から、自分のことが嫌いって自覚が
ない人でも、感情解放のセッション
やっていると、

自分のこと、嫌ってるんだな~、
っていう人が結構います。

何でわかるかというと、
自分を呪うエネルギーが身体に絡みついている
のが読み取れるからです。

そう言うと、自分を呪ってなんかいないです!
って大抵の人は言うんですけれどね、

じゃぁ、こんな自分なんていなければいいとか
こんな自分はダメだとか、思ってない?

自分のこと、信用してる?
大事に思ってる?
もしかして、自分を憎んでる?
許せないとか思ってたりしてない?
って聞くと、

いつも、ダメだなぁって思ってますし、
こんな自分は許せない、
許されないって思ってます
って言うんですね。

そういう思いのエネルギーが、
呪いのように実際に自分の体に絡んで
がんじがらめにしているのです。

誰かから呪われるよりも、
自分でかけた呪いの方が多いんじゃないかな
という実感はあります。

こういうものが絡んでいると、
当然心は晴れやかではありませんし、

何か行動しようと思っても、
足を引っ張られるような感じだったり、
思うように実力を発揮できなかったり
するのです。

誰かからこんな呪いがかけられてたら
嫌ですよね~。

でも、それやってるのが自分だったら
どうですか?

自分で自分の首を絞めている。

なんてバカなことしてるんだろうって
呆れませんか?

苦しければ、その首を絞めてる手を
離せばいいんですよ。
単純な話です。

でも自分を許せない、責め続けたい思いが
一方で、あるんですね。

だからやめようと思っても、
簡単にはやめられなかったりするのです。

「ダメだな~自分」って思うの、
やめようって思っても、またすぐに次の瞬間、
「ダメだな~」って思ってしまってるでしょ?

そうして、なんだか落ち着いている。
それの繰り返しなんです。

そう思うことで落ち着かせている
感情のエネルギー(これが「種」なんですが)を
きちんと処理しないといけないのです。

一方で、自分を呪ってる人は、
自分を祝福することができません。

私のセッションでは、よく自分や
色々あった人生そのものを祝福するよう
誘導することがあるのですが、

クリスチャンの方とかでない限り、
祝福ってあまり馴染みのない概念かも
しれません。

でも、例えば子供やお友達のお誕生日を
お祝いするときを思って見てください。

そんな風に、自分の命、人生を祝い、喜ぶ
みたいなイメージだったら分かりやすいかな?

自分が自分として生きていて、良かったね
って祝い、喜ぶわけです。

自分が嫌いで責め苛んでいる人は、
そういうことができないんですね。

やろうと思っても、ものすごく苦しい。

「私は、自分自身を祝福します」
って言うたったこれだけの言葉を言うのに
言葉に詰まり、目に涙を溜めながら、
体を震わせ、なかなか言えなかったりする。

それでも私は、断固として
「言ってください。自分の命を祝福してください」
って促すときがあります。

それまでの自分がどんな自分であろうと、
今この瞬間、まだ自分を許せていなくても、

それでも「生きていて良かったね」って
自分に言ってあげることが
ものすごく重要な意義を持つからです。

そう言ってあげられる自分として
セッションを終えるのと、

言えないままの自分で終わるのとでは
それからの歩みが全く異なります。

だから、私は選択を迫るんですね。
どちらの自分として、生きて行くのかと。

私としては、その方がどちらを選ばれても
構わないのです。

私の人生じゃありませんからね。
あなたはそう選択されたんですね、
で終わりです。

その選択の結果を生きていくのは
その方自身ですから。

ただ、セッションを受けに来られた以上は、
自分がどんな選択をしたのか、明確に
意識を持って受け止めることを促します。

その選択が、次の扉を開くからです。

だから、ときに厳しく、断固として
逃げ道をふさいであなたはどうするのか?
と迫るんですね。

人間、ときに物事を曖昧にして
状況を切り抜けるっていうときも
確かにあります。

何も決めず、見ないふりをして
心地良くはないけれど、そこそこの
均衡を保ってやり過ごすようなときです。

それもアリで否定はしないけれど、
それじゃダメな時もありますね。

進みたいのに進めない時って言うのは、
大抵どこかにこうやって逃げている要素が
引っ掛かっているときです。

顕在意識では気づいてなくても、
逃げている自分を、深いとことでは
ちゃんとわかってるんですね。

だから、そういう自分を誇りに思えない。
尊厳を持てないのです。

でも、いつも逃げてしまっていることに
勇気を振り絞ってでも向き合えた時、
その人は自分に尊厳を取り戻すのです。

そして、自分を祝福できる。

その辛さも、ちゃんと受け止めて立っていられる
自分を見出した時、その人の新たな可能性が
開きます。

私たちは、自分が思うほどやわでどうしようもない
存在ではないのです。

それはただの勘違い。

本当は、もっとたくましく、気高く、美しい存在
なのです。

自分自身の可能性を深く深く引き上げて行きましょう。

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