【ヒーリングテーマ】
愛し、愛されることに深く自分を開いていくよう最高最善に働きかける
5月6日実施
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今回はヒーリング後、テーマに注目しても自分自身を観察しても何も気づかないし、何も沸き上がるものがありません。
それどころか、ワークしようとしても気が散り集中できまず、続けることができませんでした。
「愛」そのものを拒んでいるのかもしれないと思うと、無意識とはいえ自分自身のことがわからなくなります。
自分の中にある「空っぽ感」と何らかの関係があるのか、まずは自分自身を癒したいと思いました。
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遠隔ヒーリングの時間に、車の運転中だったのですが
急に涙が出てきました。
その日のお風呂の時間にも
悲しみや孤独感、無力感などが沸き上がり受け止めていきました。
数日後、
私なんか誰かに愛される価値がないという言葉が出てきました。
それはすごく深いところでへばりついているような感覚です。
その後も家族とのやりとり中で何で『信頼』してくれないんだ!という悲しみ。
自分自身を『信頼』できていないんだ。
まだまだ深いところで閉じ込めている感情がある事に気がつきました。
少しずつお迎えにいこうと思います。
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第498回無料遠隔ヒーリングをありがとうございました。
今回ずっと忘れてた小4くらいの時、塾のテストでカンニングしたことがふと頭に思い出しました。
あの頃の私はストレス抱えていたようです。
自分の子供が、あの頃の私だったらかなりヤバイことです。
kouさんと出会ってから、母親とのことをワークする必要があるなと思っていながらも、また今度やると逃げていましたが、
今回はどんどん記憶がよみがえりました。
髪の毛伸ばしたい言ってんのにショートカットな未就園児時代からのダンスクラブ入りたい言ってるのにサッカークラブ入らされてる幼稚園時代とか。
文句ゆうと怒られるから文句言わなくなり大人になりました。
今なら昔言われた言葉に、矛盾してないか?とツッコミどころがでますが、当時は疑問すらいだきませんでした。
今の私に母親のこと愛してる?とゆうか好き?と質問したら、イエスが出てきませんでした。
でも母親を好きとは思わない自分なのに、
だんだん昔の自分が愛おしくなってきました。
産まれてから今の私まで私自身を愛してる感覚がわかりました。
人を愛する気持ちに一歩近づけた気がします。
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今回も永年引きずってきた、私の課題 のためのヒーリングだ!と参加申し込みさせて頂きました。
幼い頃の出来事と結婚生活でのダメージで、人間不信になっておりました。
病弱の奥さんに穏やかに接する、古くからの知り合い。
3年前に看取り終え、共通の趣味で再会。
私が脚に障害を持ちながら、心を病んだ家族と暮らす様を観ての発言。
驚きと信じることの怖さと‥‥‥‥。
大切にされた経験がなかった、未知 への踏み出し‥‥‥
笑い声溢れる会話 。
旅立った彼女と良く似ていると、眩しそうに見る眼を信じようと!踏み出しました。
家屋事情によりべつ住まい。
日々誠実さを感じ、小さな青いとりを手に入れました。
「被害者」でいる安定感を手放す事の大切さも痛感しています。
ありがとうございましたm(__)m
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つい最近、2人の方に贈り物をしたのですが、全く異なる反応が返って来て、色々と考えさせられるものがありました。
<ケース1>
コロナ禍の自粛生活中という事もあり、なかなか元気が出ずに体調も思わしくないと言うAさんに、もしかしたら役に立つかも!と、ある身につけるものを送ってみたところ、「つけてみたけれど、何か自分には合わないみたい」と連絡がありました。
それを聞いて、残念ではあったけれど、合わないものは仕方がないし…と、相手は気心の知れた人物だったので、「では、他に合う人がいるかも知れないから、それは送り返してもらっていい?」と返送してもらい、別の方に差し上げました。
Aさんは、「せっかく良かれと思って送ってくれたものだったのに…本当にすまなかったねぇ」と、こちらが恐縮してしまうくらい気にしてくれて、それでは本末転倒なので、「そんなに気にしてくれなくて全然大丈夫だよー、また何か良さそうなものがあったら送るからね!」と。
品物自体は合わなかったけれど、二人の間でほのぼのとした思いやりの波動のやり取り・交流はしっかり出来て、心の方はあたたかく満たされました。
<ケース2>
こちらもコロナ禍で仕事などに影響を受け、それなりに大変そうに感じたBさんに、お好きな食べ物を送りました。配送が混んでいて、自分が当初思っていたより1週間ばかり先の配達になってしまったものの、喜んでくれると良いなーと思っていたら、届いたメールには、一応の御礼の言葉の後に、「今はこういうのは充分足りていて、むしろ個人で消費できる限界を越えてしまい処分に困るので、こういうお気遣いは一切無用。今後はお願いだから送らないで」
といった内容が綴られていました。かなりショックでした。
1年半くらいは長期保存も可能な食品ですし、こちらが勝手に送ったとはいえ、いくら何でもそういう言い方はないんでないの?と。(もちろんその方には、今後一切何も送りませぬが)
少なくとも、もし自分だったら…
例え今は必要なくても、せっかくの相手の気持ちを嬉しく思い、
①御礼を述べて、日持ちするから取りあえず取っておく、
②御礼を述べて、誰か他に必要としている方にお譲りする、③気持ちは有難かったけれど、気持ちだけで充分だからと相手に伝え、着払いで返送する
この内の、どれかを選んだことと思います。
Bさんが、この不要な食品を、どの様に処分されたのかは分かりませんが…これではこの食品たちも可哀そうです。食べ物である以上、きっと喜んで食べてもらいたいでしょう?から。
こちらの純粋な思いやりの気持ち(と、自分では認識しています)が、相手方に受け止めてもらえず、カーンと厚い壁に当たって跳ね返り、ネガティブな波動となって戻って来た、という感覚で、身体の中が嫌な波動のエネルギーで渦まき収拾がつかなかったため、ワークをしました。
まあ、立て続けに2度も「相手に合わないもの」を贈ってしまった自分自身の感性・感覚の精度を、もっと磨く必要性を強く感じさせられた出来事ではありましたが(苦笑)。
長くなってしまいますが、もう1つ。
少し前に友人から、「昨日から母が集中治療室に入っているの…お願い!エネルギーを送ってあげて」と連絡がありました。(コロナではないそう。また人工呼吸器は使わない方針とのこと)
それなりの年齢ですし、人には寿命というものがあるので無理に延命とかは嫌なんですけど(もちろん、自分にそんな力はまったくないのでその点は安心なのですが(笑))、もう40年来の友人からの頼みですし、お母様にもお世話になったので、自分に出来る限りの事はやらせてもらおうと、「彼女が、もしまだ生きる必要があるのなら元気になりますよう」「とにかくこのエネルギーが、彼女にとって最高最善の効果をもたらしますよう」毎日数回、KOUさんにアチューメントして頂いたレイキとシルバーバイオレットのエネルギーを、念を込めずに単なる光の触媒?として送り続けています。
友人からの報告では、1週間近く集中治療室で頑張った後、普通の病棟に移る事が出来、今はリハビリ療棟に移られたとのこと。まだ食は細いとの事ですが、まだ彼女には、生きる力が残ってた様で、また少しは私もお役にも立てた?様で、嬉しい限りです。
そして友人からは思いがけず、今回の御礼という事で、1回目はスイートポテトが、2回目は上質のジンギスカン肉(北海道在住の友人なので!)が送られて来ました。まったく期待してなかっただけに、何か嬉しくて。
仕事ではないけれど、自分がやった事に対して、周りが喜んでくれ、感謝の気持ちを乗せた食べ物になって自分の元へ運ばれてくる、というその流れが、何か、こういうのっていいなーと。
ふと、世の中お金じゃなくて、こうやって、必要なエネルギーを交換することで成り立って行けないものかしら?と思いました。そしたら、今日(5月18日)のKOUさんのブログでも、お金というものの幻想や愛と善意の世界について触れられていて、何かシンクロしてるかも~!と一人喜んでいるところです。本当に、そういう流れになって行けば良いなーと、心から想っています。
今回も、貴重なきっかけを作って頂きまして、本当にありがとうございました!
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意識的にというよりは無意識にまかせて、
という感じでしたが、解釈というか、
様々に認識の収縮力が変わったようでした。
多方相互循環的な要素が多いという氣がしています。
縦方向に思いを致すと・・・やはりご先祖から授かった様々、
というとに落ち着いています。
ありがとうございます。
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人間に対する愛が条件付きというか「ピンとこないな」と思っている自覚があったんですが、
良く考えたら自分も人間なので、自己愛の循環についても「管が細い」状態だったかもしれないです。
そのせいなのか、自分の中でこう着状態になっていることについて、なんとなくそのままになっちゃって
たんですが、
セッションとヒーリングのあと、一般的には些細に見えることながらも抜け感のある気づきがあって、わりとすっきりしました。
今日新月だし、色々始められそうな感じがします。