先日の絶望のセルフワークから、
さらに進んだところまで、
自身の備忘録として書いておきます。
私が命の導きから離れていこうとする時に
何が起こっているのかというところを
詳細に見ていくと、
どれだけ願っても自分の望みが叶わない
という現実に直面した瞬間、
導きはきっと何か良い方向に私を
導いていってくれているのだろうと思いつつも、
何か理解しがたい異質で遠い存在に感じられて
諦めとともに自分から分離しているのだと
気づきました。
それは確かに悪いものではないのだろう、
けれども、決して私の心情に寄り添って在る
ものではないという認識が、
剃刀の刃でハートを削がれるような
何とも言えない感覚となって
私の心を凍り付かせていました。
これがある限りは、
心底導きを信頼することはできないのだろうし、
呼吸停止&思考停止状態でその部分に
ガチっとブロックがかかってしまうでしょう。
この感覚が認識できたということは、
かなりの進歩でした。
この気持ちの悪い感覚を感じながら、
いつもだったら自動的にシャッターを
下ろすところをこらえて、
ゆっくり呼吸しながら導きから離れずに
在り続けました。
ショックと失望はあるけれど、
諦めの蓋をしないで
心を導きに向け続けることは、
そこそこ忍耐力が要りますね。
けれど、そうしている内に、
長年息を止めて固まっていた
その部分の心が少しずつ質感を変えて
明るくなってきました。
導きが、得体のしれない異質なものから、
その精髄と私のハートの底が同期される
ような感覚がありました。
何か、今まで流れていなかったエネルギーが
ハートに通電していくような
シャープな感覚です。
こういう感覚は、今までなかったですね。
導きとともに生きるという決意は、
これまで目を逸らし、受け止めてこなかった
苦しい歴史を受け止めていく実践とともに
なされたとき、より深く私の中で
変容を起こしたようです。
こうしてみると、
今までも決して決意してなかった
わけではなかったのですが、
深いところでは導きに背を向け続けていた
自分が良くわかります。
逆らっても決して良くなることはない
と頭で思うから従うのではないのですよね。
まだ慣れなくて、ハートが変な感じです。
でも、ハートがこれまでよりも深く
通っている感じがして、下位のチャクラまで
抜けている感じがします。
同時に、体の力みが抜けていきます。
力みは、導きが信頼できないから
自分で何とかしなくちゃ!という
導きへの抵抗だったのかもしれません。
その抵抗を止めて、
深く深く導きに同期していきます。
我で頑張ることに慣れているので、
それを止めて導きを優先するように
切り替えていくのは、体感的にも
かなり違うので、すごく変な感じです。
セッションでも、よく優先順位を変える
というお話をすることがあります。
いつも自分を後回しにしていたり、
一番先にやらなければいけないことを
ずるずる先延ばしにしていたり。
そういう在り方を変えていくというのは、
頭で切り替えるだけではなく、
実際には色々なところの形が変わっていく
ことを伴っているので、
思う以上に大変なんですね。
断続的に、同期は進んでいきますが、
途中、過去に抱いた恨みや悲しみ、失望が
繰り返し浮上してきます。
そのたびに、導きから離れずにいる
選択を繰り返していくと、
自分の中の誤って配線されて固まった
回路がべりべりと剥がされていくような
何とも言えない感覚が起こります。
これこそが、たくさんたくさん
背を向けてきた自分の証なんでしょうね。
まだまだ背を向けているし、
恨んでもいる。
そういう自分の気配がします。
そんなセルフワークの最中、
私は閉じていた眼をふと開くと、
目の前のテーブルの上に小さな蜘蛛がいて
びっくりしました。
しかも、1匹退治したら向こう側にも1匹。
すかさずそれも退治しましたが、
虫って、象徴的に現れることが
ありますね。
特に蜘蛛は、とてもスピリチュアルな
象徴として出てくるような気がします。
自分の心の奥に、呪いにまつわる
ダークサイドの気配を感じたのですが、
彼らがいかに私を脅して恐怖を煽ったとしても、
彼らは私の恐怖を吸収して
大きくなっているわけなので、
私はもう、お前たちに力は渡さない!
そうすれば、お前たちは取るに足らない
と宣言をしました。
結局、自分自身の現実において、
何に重要性や力を与え、
何を軽んじ弱らせるのかは
すべて、己の心ひとつなのです。
その後も呪いに絡んでいた怒りや
憎しみのエネルギーの統合作業を
していったのですが、まだ根深くありそうです。
というわけで、
今日はいったんこの辺りで締めて、
ボチボチ進めていこうと思います。