冬至まで一か月を切り、
日に日に、日が短くなっていっていますね。
日が落ちるとぐっと寒くなるので、
例年より眺めだった今年の秋も、
もうすぐ終わるのだな、と感じます。
スピリチュアル業界では、
今年の冬至というのが大きな節目で、
何かのゲートが閉じてしまうと言われている
らしいのですが、
そう言えば、これまでにもそういう話は
何度もあったな~なんてことを
思いました。
振り返ってみて、ゲートが閉じたから
何だったんだろう?という気も
しないではないのですが、
まぁ、その時々に何かしらの節目というものが
あるということは否定しません。
けれど、そのゲートを越えられなかったら、
自分はもうダメなんだとか、
地球はとんでもない世界になってしまうとか、
そういう世界観に自分を追い込んで
焦るのも、どうなんだろうな、と
結構冷めた目で見てしまったりします。
様々なライトワーカーさんたちを見ていて
思うのは、
そういう世界観のベースとなる情報を、
自分自身で本当に見て、感じ、
確かめたうえで取り入れているんだろうか?
ということです。
誰かがそう言っているのを鵜呑みにして
そうなんだ!大変だ!と自分を追い立てている
のだとしたら、一度立ち止まって、
考えてみるのが良いのではないかな、と思います。
本当に、あなた自身でそのゲートを見て、
感じて、そのゲートが締まる前までに、
何かすべきことがあると感じられたのなら
それでいいのですが、
そうでないなら、そもそもその世界観を
自分に取り入れる意義というものを
良く精査すべきだろうと思います。
自分で、自分の人生に何が必要で、
何が必要のないものなのか、
いつ、どこにいて、何をすべきなのかを
本質的に教えてくれるのは、
自身の内なる導きです。
決して、外から煽り立てられて
決めるようなものではありません。
たとえ何かのゲートがあるのだとしても、
みんなが早く早く、あちら側へ行くんだ!
と駆け出しているときに、
あなたにとってのタイミングはその時ではなく、
またゲートの向こうに行くこと自体が、
あなたにとって、必ずしも正しいと
言えないケースも、あるかもしれません。
本当に自分が宇宙の大きな流れを感じて、
導きを受け取っているのなら、
自分にとっての必然のタイミングに従って、
為すべきことを為しているでしょう。
そのゲート云々の世界観には、
ゲートの向こう側とこちら側で
何かステイタスの上下があるような
ニュアンスもあるようなのですが、
あちら側に行けなかった自分やこの世界は
「レベルの低い世界」で、だからこそ、
何が何でも「レベルの高い」あちら側に
行かなければいけないのだ!と
焦っているようなのです。
そりゃぁ、地獄に取り残されたら
嫌ですものねぇ。
きっとそこで、絶望感やら無価値感、無力感、
惨めさや怒り、悲しみ、恐怖と混乱で
一杯になってしまうでしょう。
感情解放ワークの世界観では、
すかさずそこで、自身の内に湧き起こった
感情を統合すれば、自分の居る世界には
何ら問題ないのですが、
自分でそういう処理ができないと、
その人の生きる世界はやっぱり
地獄でしかないのだろうな、と思います。
結局、その世界を作り出しているのは自分
ということが本当に分かっていないと、
外的な条件によって自分の幸せや平穏が
左右されることから逃れられないのです。
ライトワーカーさんたちは、
この世界や人々を助けたいという
使命感に燃えて心優しい人が多いのですが、
本当にその志を遂げたいのなら、
この世界で人間として生きる自分を
ないがしろにして軽んじたり、
スピリチュアルな使命やお役目を
自身の無力感や無価値感、不足感などを
埋めるための逃避に使ってはなりません。
つまり、
「救うべき世界や人々」は、
あなたのそのような心の空洞を埋めるため、
スピリチュアルな虚栄心を満たすための
材料ではないのです。
どんな人も、
自分の人生に地に足をつけて
様々な側面から逃げ出さずに真摯に向き合い
応答して生きていくことです。
概念だけのスピリチュアルでは
現実から遊離して、空回りするでしょう。
そんな状態では、人を助けるどころか、
既に自分が溺れています。
スピリチュアルと現実は決して
分離したものではなく、
ごく普通の日常のそこかしこに
霊性のエッセンスを感じ、体現しながら
生きていくものです。
そのように生きていたら、
自分の居るその場所、その瞬間瞬間が、
目指していたその世界であることに
気づくでしょう。
自分自身の真実とともに生きるとき、
ゲートはいつでもそこにあるし、
開いているのです。