誰しも、自分が尊く美しく
素晴らしい存在であることを
願っていると思います。
けれども、どうしても
そういう自分を求められず、
ひたすらに自分を汚し、貶める衝動から
逃れられない状態の人もいます。
その人の中に、狂おしいほどの痛み、悲しみ、
羞恥心、混乱が暴走していて、
自分でもどうしようもないのでしょう。
そうして、鬼のように、魔物や悪魔のように
自ら自分を汚していくのです。
美しく、尊い自分なんて、耐えられないのです。
どうして自分がそんな風に感じるのか、
その原因は遠く記憶の彼方に封印して、
訳が分からないまま、最悪の自分を重ね続けて
心の深いところでは涙する。
そういう存在に、出会うことがあります。
今生のその人であったり、別の人生の記憶だったり、
あるいは、その人の中に入り込んでいる存在
のことだったり、色々です。
汚れすぎた自分をどうしたらいいかわからない。
もう引き返せない、という声も聞こえます。
中に入り込んでいる存在は、
最初は自分は魔物や悪魔だと言っていますが、
よくよく掘り下げてみると、元は人間だった
というケースも結構あります。
そういう存在と交渉する中で、
今のその姿は本当にあなたが望んだ姿なのか、
元にあった痛みを癒し、別の在り方に移行する
道があるのなら、そしてその道に案内してあげよう
と私が言ったのなら、あなたはどうするだろう?
と問いかけてみると、
別の道に行きたい、とほとんどの存在が言います。
当人がそう望んでくれたのなら、
私は邪悪と苦しみの種となったものを統合し、
汚しに汚してきた存在から呪いを解き、
浄化と変容、別の道へのシフトへと
道案内をすることができます。
自分にかけた無数の呪いを解いて
ダークサイドとの契約のコードを外し、
最初の痛み、傷まで戻って統合をしていけば、
その魂は別の世界線にシフトしていきます。
つまり、パラレルワールドですね。
もうそんな、鬼や魔物のような
変わり果てた姿になどなったこともない
存在になるのです。
その人生の決定的な分かれ道となるポイントを
掴むことがカギになります。
そこでどんな選択をし、何をしたがが
悲惨な世界に堕ちるか、
平和で幸せな世界を生きるかの
分かれ目なのです。
そしてその分かれ目でどちらに流れていくかは、
その時に浮上している感情をきちんと
消化・昇華できるか否かにかかっています。
深く傷つく体験をしたときに、
怒りと恨み、憎しみに身を焦がし、
自分と世界を呪えば魔物行きです。
一方で、それらの感情をしかと受け止め、
統合する術を知って実行できれば、
平穏で幸せな人生が流れていくでしょう。
大抵は、ダークサイドの存在たちは
その人が地獄に堕ちていくずっと前から
目をつけていて、
些細な出来事の内から耳元で
心を歪ませ、疑心暗鬼にし、
世界に絶望しやすいような種を
せっせとその人の心に蒔いているのです。
そうして、時間をかけてその種に
水をやり、肥料をやって大きく育った時に、
決定的な出来事を誘発させます。
その時、彼らが長年かけて育てた仕掛けが
一気に実を結ぶのです。
その人は、そうやって道をつけられていたのも
知らずに、自ら進んで地獄に堕ちていくんですね。
だから、ダークサイドに堕ちていくのは、
昨日今日、急にそうなっていくのではないのです。
彼らは実に周到に、時間をかけて
アプローチして来ています。
だから、いつ自分の耳元で
よからぬ輩がよからぬ思いを囁き、
種を蒔いているのかに気づいていることです。
それは、あなた本来の思いではないかもしれません。
非常に鋭敏な感性を持っている人なら
その思いの異質な感覚に気づくでしょうが、
多くの人はおそらく、気づけないでしょう。
それでも、
自分の心によからぬ思いが湧いてきたときは、
疑ってみることです。
これは本当に、自分の思いだろうか?と。
そうして、その思いの種の育つ土壌である
感情のエネルギーを統合しておきましょう。
私たちは、美しく、気高く、尊い存在です。
そのことを、否定したい気持ちがどうしても
拭えないのなら、あなたの心には既に、
よからぬ者の蒔いた種が育っています。
でも、気づけたのなら、これがそうなのか、
と目を光らせて観察し続けることです。
心の薄暗いところで育つその種は、
意識の明るい光を嫌います。
その苗が、
どんな風にあなたの自尊心を暗くさせ、
歪ませる毒を吐いているのか、
よく見ていましょう。
そうしていると、やがてあなたは
自分本来のものとそうではないものを
識別できるようになっていくでしょう。
そうなれば、奴らが囁く暗い思いの肥料など、
恐るるに足りません。
あなたは、美しく気高く尊い存在です。
ゆめ、忘れることなかれ。
疑うことなかれ。