今日は昨日の記事の続きで、
体の中に入り込んでいるものについての
補足的なことを書いてみようと思います。
普通に考えても、異質なものが
自分の体の中に入り込んでいるのが
良い状態とは思えないと思うのですが、
実際、そういうものが入っていると
何が問題なのかと言うと色々あるのですが、
まず最初に挙げられるのは
入り込んでいるものの意志が
自分自身の意志や考え、感情に
影響を及ぼすというのがあります。
変に怒りっぽかったり鬱っぽかったり、
食欲が異常に増して歯止めが利かないとか
無性にどこかに行きたくなるとか
何かをしたくなるとか。
人間ですから、通常でもそういうことは
ないわけではないのですが、何となく
その様子に違和感が感じられるのです。
とても微妙なのですけれど、
普段だったらアドバイスも素直に聞く人なのに、
異常にこだわったり執着をしたりして、
そういうときの雰囲気に、
何か異質な影というか気配がちらっと
見えるときがあるんですね。
あと、セッションのときに、
自分の中心につながれず、自身のパワーにも
触れることができないというのがあります。
自分の中心に意識を向けてみてください
と誘導すると、どこかあらぬところに
フォーカスしていたり、中心がわからなくて
意識が彷徨っていたりします。
普通はそういう風に言われると、
わからないながらも意識を向ければ、
直感的にちゃんと中心の感覚がとれるものです。
でも、入り込んでいる存在にとっては
しょせん他人であり自分のことではないので
どうやってもつかめません。
同じ理由で、感情を統合するように誘導しても、
自分の感情に触れられず、どれだけ頑張っても
他人事のようにしか捉えられなかったり、
感じられないので推測することしかできません。
当然、他人に自分の感情を統合すること
なんてできないわけですから。
どれだけ本人にとっては大切なこと
であろうと、他人事なので危機意識もなければ
責任を取ろうという意識もないのです。
故に、体の中に自分ではないものが
入り込んでいると、
自分の人生を他人事のように見て、
都合の悪いことからは
とにかく逃げたがりますね。
逃げ癖は、こういう人の最たる特徴の一つ
と言えるでしょう。
自分のパワーにつながれていないので、
ふらふらして定まらないし、
ここぞというときに踏ん張るための力も
出ないんですね。
そして、どこかぼんやりして
目は虚ろになります。
また、実に物事の捉え方が表面的で、
しばしば目先の手っ取り早く心地よく
なれそうなものに興味を持って
あれこれ手を出しては変なものに
引っかかったりします。
なんでこんな状態になるのかと言えば、
根本的には、自分が嫌い、この世界は
恐ろしくて辛いのでここにいたくない
という強い思いがあるので、
意識が自分から離れ、
肉体からズレていくのですが、
このときに隙ができるんですね。
要は、自分がお留守になる。
そこに色々なものが入り込んでくる
スペースができて、しかもドアは全開で
出入り自由の状態。
居心地抜群!どなたでもご自由にどうぞ!
みたいな看板を掲げているかのような状態で
ふらふら歩いている人、一杯います。
つまり、自分から逃げている状態の人に、
同じような性質の存在がふらふらっと
引き寄せられてするっと入られるわけです。
自分にちゃんと向き合って、
自分を大事にしている人に、
そういう存在が入り込む隙はありません。
元々逃げ癖のある人に、
異質な他人様が入り込んで、
ますます逃げ癖がひどくなって
自分に自信なんて持てず、
さらに人生が生き辛くなるのです。
このように、どれだけ人生から逃げても、
負のスパイラルにはまるだけで、
楽になることはありませんね。
本当に幸せに、楽になりたいのであれば、
自分の人生の責任を引き受けないとね。
自由とパワーと生きる喜びは、
その責任を引き受けることとセットなのです。
無責任な自分に、尊厳と信頼を
感じることができるかどうか
ってことなんですね。
ヤバい、これ自分かも
と心当たりのある方は、
まずは居候さんたちにお引取り願って、
自分の人生に戻ってくることですね。
これは自分の体である!
出ていけ!
って、きっぱり引導渡してあげてください。
彼らに自分の体を提供することは、
彼らにとっても善いことではありません。
彼らにも、本来の居場所と
引き受けるべき自身の人生が
あるのです。
これ以上、彷徨わせないように。
自分自身を、粗末にしないように。