今年は家庭菜園で、オクラと九条ネギと
トマトとキュウリを種から植えたのですが、
種って、本当に蒔いたところから蒔いたように
蒔いたものが育っていくのだなぁと
そんな当たり前のことがしみじみと
不思議に感じられました。
オクラは一つのプランターに
6か所穴をあけて、2,3粒ずつ、
キュウリは2か所に3粒ずつ蒔いたのですが、
本当にその通り芽がに出るんですよね。
なんでそれがそんなにも不思議に
感じられるのかというと、
感情解放のワークをしていて、
「種」となったものを掘り下げていくときの
あの感覚に重ね合わせて見てしまったから
かもしれません。
つまり、故なくその状態にはなっておらず、
必ずそこに至る原因と必然がある
ということ。
種は必ず、蒔いたように芽が出るんですね。
その芽の育ち具合はそれぞれの
土の栄養状態によるけれど、
家庭菜園の野菜たちも、肥料をあげたら
あんなに弱々しくてちゃんと育つかしら
と思っていた苗たちが、
幹を太くし枝をグングン伸ばして
次々に実をつけていきました。
私たちの中の「種」は、
今どんな土の上にどんな実を
つけているのでしょうね。
そしてこれまで、その土にどんな肥料を
あげてきたのでしょう。
そしてそもそも、
どんな種を蒔いたのでしょうか。
菜園の野菜たちならば、
種を蒔けば芽はまだか、と日々気にして
水をやり、肥料をやってせっせと
世話をしますが、
自分の日々の行為の種に関して
私たちは往々にして無意識で、
自分がどんな種を蒔いて、
どんな育ち具合をして、
病気なのか虫がついていないか
好ましくない芽が出ていないか、
あまり気にしていないのではないでしょうか。
自分というこの土壌がいま、
どんな状態なのか。
それが好ましいのか、あまり望ましくないのか
本当はどんな風だったら嬉しいのか、
まずはそこをはっきり認識するところから
豊かな心の庭づくりが始まります。
荒れ果てた土地に細々育つ野草もあって、
そういうものが結構貴重な薬草になる
という例もあるけれど、
土地の特性を良く読んで、
大地の声を聞きながら、
もっとその土地の可能性を引き出すことも
できるはずです。
要は、それを自分がしたいのかどうか。
幸せになりたいと言いつつ、
仕方がないと諦めて現状に甘んじていては
そのまま何も変わりはしません。
隣に芝生の青さに心を奪われ、
羨むことに時間を費やしていて
いいのかどうか。
自分の心の庭は、自分にしか
できないことがあるのであり、
その庭の声を聞けるのは、
自分だけなのです。
荒れ果て、痩せた土なのであれば、
今の自分に与えてあげられる肥料とは
どんなものなのか。
この土地には、どんな種が合っていて、
どんな肥料をいつ、どのくらい
入れてあげればいいのか。
専門家に意見を聞きに行くのもいいし、
自分なりに試行錯誤し、種の育ち具合を
見ながら、試してみるのもいいでしょう。
自分が手をかけた分だけ、
土も作物も応えてくれます。
時には、間引きしたり芽を摘んで、
ある方向に枝を伸ばしたり、
たくさんついた花芽を摘んで、
いくつかの実に栄養を集中させるように
調整したり、というようなことも
必要かもしれません。
それもこれも、自分がどんな実りを
得たいのか。
それによって、今この時に自分が何を
すべきなのかが組み立てられていきます。
そういう、今この瞬間から未来につながる
タペストリーを織り上げるために、
よくよく目の前の現状と対話するのです。
他所の土地を眺めて羨んでいるだけでは
自分だけのオリジナルのタペストリーは
織り上げることはできません。
試みがうまくいってもいかなくても、
その試行錯誤した経験のすべては、
自分だけの宝物になるでしょう。
うまくいかなかったときは、
自分がどんなサインをキャッチすることが
できなかったのか。どうして気付けなかったのか。
しっかり総括して、
心の土壌と種と、気持ちが通じ合う
対話の方法を自分なりに確立することです。
時は常に移ろい、条件も変化していきます。
かつてダメだったことも、
時期が変われば通ることもありますし、
その逆もあるでしょう。
ささやかながらも自然と対話していると、
必然的に微細なサインにも意識を凝らして
いるようになるので、自分を閉ざしてなんか
いられなくなりますね。
自分を閉ざしていてもそれなりに
生存して行けてしまう状況というのは、
ある意味、不幸と言えるかもしれません。
今、自分という心の庭を、これから
どんな景色にして行きたいのか、
問いかけてみて、できることを少しでも
始めてみてはいかがでしょうか。
行動したら、何かしらの結果があるでしょう。
その結果を楽しみながら、一つ一つ、
心の庭を作る喜びを重ねていきましょう。