私たちの心の中に在る隙というのは
色々あれど、核心部分は大体決まっていて、
それは大抵は不足感に端を発している
と私は考えています。
自分には力がない、才能がない、お金がない、
あれもない、これもない。。。
だから何とかしなくちゃ、となって、
他者をコントロールして自分の思う通りに
動かすことで、自分の惨めさを埋めたり、
相手からエネルギーを奪ったり、
とパワーゲームを始めます。
そうやってどれだけ心の空洞を埋めても、
根本的な不足感、無力感は、
自身の真の力の源泉につながらなければ、
癒すことができないので、
足るを知る、ということがありません。
奪っても奪っても、貪るほどに
飢え、渇くのが常なのです。
こう書けば、どれだけ醜くひどい姿なのかと
思われるでしょうけれど、一見して
そんな風には見えない人の中にも
こういう構造はよく見られます。
要は、上品にやるか、下品にやるかの違い
くらいなもので、やっていることは
同じなんですね。
根本的な核心が捉えられれば、
それらが基本構造が同じものの
バリエーションだとわかるでしょう。
だから、恋愛も仕事も家族も友人も、
人生におけるあらゆる要素を
健全に構築しようと思うならば、
自身の無力感をそのままにして
自分から逃避し、外側の何かで埋めるという
その在り方自体を立て直さないといけないのです。
逆に、ここさえ整えば、
人生のあらゆる要素が整っていきます。
魔が入る隙もなくなるでしょう。
人はよく、何か良くないことを
魔のせいにしますが、
魔は、隙のない人を引っかけていくことは
できません。
引っかかったのだとしたら、
どんな要素がフックになっていたのか、
良く振り返って、きちんと統合しておくべきです。
今度は引っかからないように気を付けよう
と頭で思ったとしても、フック自体の
除去作業がされていないのなら、
似たような構造の失敗を繰り返すでしょう。
そういう意味で、魔は教師でもありますね。
不足感というのは、
なかなかに根深いものだと思います。
それは、今生を振り返ってみても
常に苛まれてきたという人は
少なくないでしょうし、
魂に刻まれた無数の人生の記憶の中にも
多々あるでしょう。
さらには、たくさんの先祖たちもまた、
同じ思いに苛まれながら、
生きてきたことでしょう。
そういう縦糸横糸織り合わさって在る
この自分の中に、どれだけその思いが
影響しているか。想像に難くありません。
けれど、今この瞬間を生きる自分が
その思いの統合に成功したなら、
自分につながるすべての人生に、
その恩恵が行き渡るのです。
骨身に染みるこの不足感を、
言い訳しないで逃げもせず受け止めて、
対話してみてはいかがでしょうか。
これまで、
自分につながる誰もなしえなかったことを
なせたら、それだけでも随分な徳を積んだ
ことになるでしょう。
言いようもないこの辛さから、
みな必死で逃げるばかりだったのです。
その状態に在る、この自分につながる
すべての人生に寄り添い、
この身を通して統合すること。
そのうえで、自分自身の中心にある、
己の力の源泉にしっかりとつながること
までできれば、
不足感に苛まれたその人生は、
その瞬間から変容していきます。
奪い、貪り尽くす餓鬼地獄から
離れることができるのです。
それでもどうしても不足感に苛まれて
抜け難いという場合は、まず初めに
自分が不当に他者から奪ったものやエネルギーを
本来の持ち主にお返しすることから
始めると良いでしょう。
具体的に何をいつどうやって奪ったか
というのがわからなくても、
ハートに、
自分は他者から不当にものやエネルギーを
奪ったことがあっただろうか?
と聞いてみるのです。
ある、という答えが来たならば、
その答えがやってきたところに
じ~と意識を向けて、感覚を辿って
掘り下げていくと良いでしょう。
他者から不当に奪ったものは、
エネルギーが淀んでますます心を
飢え渇かせます。
それ自体が、魂にとっては毒なのです。
だから、きれいに浄化して、
本来の持ち主にお返ししましょう。
そんなことをしたら自分は無力になってしまう
と思うかもしれませんが、お返しした瞬間から、
清々しさと清浄な感覚が戻ってきます。
そこに本来のあなた自身の力が満ちてきて、
世界との間で気持ちの良いエネルギー循環が
起こってくるのです。
だから、奪ったものを抱えたまま、
清々しく心が満ちることはないのですね。
まずは、あなた自身の清算が先です。
不足感に悩まされる人は、
ぜひ実践してみてください。