よく、お数珠などのパワーアイテムは
他人に触らせない方がいい、というより、
触らせてはならない、という禁忌を
聞くことがあります。
ルドラークシャなんかは特にそういう禁忌に
うるさいアイテムですが、
インドではそういう禁忌がよく知られていて、
空港のボディーチェックでも、
係員はルドラークシャには絶対に触れない、
とガネーシャギリ先生もおっしゃっていました。
ほんの少し人が触ったくらいで
何か影響があるのだろうか、
と思わなくもないのですが、
これが結構影響あるんですね。
私も以前はあまり気にしなかったのですが、
昔よりは大分エネルギーに敏感になった分、
他者が触れたものに残るエネルギーも
わかるようになって、確かに
持ち主のエネルギーチューニングされた
アイテムのバイブレーションが変質するのを
感じるようになりました。
また、他者が触れただけではなく、
決まった用途以外に使ったアイテム
というのも、
その用途に使用された時とは違った
ノイズが生じてしまっているのを
見て取ることがあります。
「聖別」という言葉がありますが、
聖なるものとそうでないものを別ける、
つまり、特定の周波数を生じる用途に
限定する、というのは、以上を踏まえると、
結構大事なことなのだろうと思います。
だから、特にプージャに使う道具とか、
祭壇に置くようなものは、
気を付けた方が良いでしょう。
誰に、どんなふうに触れられたかというのも
アイテムに及ぼす影響は違いますが、
結構粘着質なエネルギーの人もいて、
ちょっと触っただけでベッタリと
その痕跡がいつまでも残る人もあれば、
それほどしつこく残らないで、
スタンダードな浄化をすれば
割とあっさりきれいになる人もいます。
その人の、その時の意識状態とかも
関係あるのでしょうけれど、
そういうことの良い影響のケースが、
聖者の触れたものになるでしょうか。
素晴らしい聖者の触れたものは、
どこの世界でも珍重されますが、
確かに、ほんの少し触れただけなのに、
ものすごく清々しいエネルギーに
変容することがありますね。
そしてそれが長期間持続するというのも、
聖者ならではの恩寵なのでしょう。
きっと、物質のものすごく精妙なレベルから
バイブレーションを変えてしまうのでしょうね。
アイテムでさえそうなのですから、
そんな聖者に触れてもらう、
抱擁を受けるというのはどれだけの
恩寵を与えられたことになるのでしょうか。
私はある聖者にマントラをいただいた
ことがあるのですが、
聖者が耳元にそのマントラを囁いてくれた瞬間、
自分の魂の深いところに
善き種が植えられたのだと、
直感的に感じたのです。
ほんの数秒のことでしたが、
あんな深いところに、あれほどの短い時間で
こんなことができるというのは、
まさに驚異だと思いました。
今でもそのマントラは大切に、
毎日欠かさず唱え続けていますが、
些細なことの積み重ねだけれど、
善き種のおかげで、人生が善い方向に
転換されてきたのかな、と
有難く思います。
こうしたことを思うと、
自分が何に触れて日々を生きているのか
というのは、非常に重要な意味を
持ってくるでしょう。
自分が影響を受けるだけでなく、
影響を及ぼす側でもある、
という事実も見逃せません。
聖者のごとく、触れるものすべてを
素晴らしいバイブレーションに変えてしまう
ことはできなくても、
せめて、少しでも多くの機会に
自分の持ち物、出会う人々に、
丁寧に慈しみと祝福のバイブレーションから
接することができたら、
その人の生きる人生は、
素晴らしい世界になるのは
間違いないでしょう。
私たちはよく、自分の運気を上げようとして
様々なアイテムを身に着けたり
パワースポットに出かけて行ったりしますが、
自分が身に着けることで
そのアイテムが良くなっていくとか、
その場所がより素晴らしくなるとか
思って行動することは、
少ないのではないでしょうか。
あやかりたい、上げてもらいたい
というばかりではなく、
自分が使うことで、
アイテムが幸せになるように、
その場所に愛が満ちるように、
そこに生きる命がより生き生きするようにと
意識して行動したら、
結果的に、自分の運気とかエネルギーも、
清らかに、美しくなっていく
のではないでしょうか。
これからは、してもらいたいばかりの
貪る人ではなく、惜しみなく貢献しよう
という意識の人が引き立てられ、
生かされて行く時代になると思います。
私もどれだけ、この世界に、
出会う人たちに貢献できるでしょうか。
まだまだ、精進ですね。