これまでに、何度かアイテムやツールと
自分自身の在り方について記事を
書かせていただいたのですが、
基本、私はそれらは使いこなすものであって
使われているようではいけない、
それを使うときの自身の在り方を
しっかり見つめることが大事だと思ってます。
自分に不足していると思えるものを
手軽にインストールするとか補ってくれる
存在というのは確かに便利なものです。
ただ、そういうものを取り込めば
なんでもかんでもどうにかなる、
という安易な考えは甘いんじゃないかな
と思います。
お料理とかスポーツとか、
なんでもそうですが、道具が良ければ
それなりのパフォーマンスが上がる
部分もあるでしょう。
けれど、それも基礎的な力があってこそ。
道具と対話しながら、
その道具のポテンシャルを引き出していく
プロセスがあると思います。
たとえば、プロのバイオリニストがポンと
ストラディバリウスを与えられたとしても、
その楽器の素晴らしい音色を引き出すまでには
毎日何時間もの練習を重ねて、
何年もかかるといいます。
逆に、その人に力がなければ、
どんなに素晴らしい楽器を与えられても、
その音色を引き出せずに終わることだって
あるわけです。
そういう対話を重ねていく中で、
楽器の可能性とともに、自分自身の
実力を磨き、開いていくのでしょう。
だから
良いツール、アイテムを得るということは、
格の高いものであるほど、
そういう対話が重ねられる力が磨かれるので
自分を高めてくれるということなのだと思います。
アイテムやツールは、主体ではありません。
それを通して自分自身を発見していくものです。
だから、自分に背を向けた状態で
それらに頼ったりすがったりするのは
邪道であり、容易く魔が入り込む隙を
拡大する危険性があるように思います。
あくまで私の個人的見方ですけど。
そもそも、自分に力がないから
これを取り入れれば、これを持てば
パワーアップするんだという、
ベースになっている「自身の無力感」は、
本当に事実なんでしょうかね?
そう決めつけるほど、
あなたは自分自身に向き合い、
探求したのでしょうか?
誰にでも苦手はあるし、
深い挫折を味わう経験を何度も
経験したりすることもあるでしょう。
でも、根本的に無いというのと、
その引き出し方を見つけられないでいる
というのは同じではありません。
自身の可能性をしっかり見つめた上で、
道具を使うと、その道具の使い方自体も
随分変わるでしょう。
本当に、道具と自分の生きた関係性が
育まれて行くんですね。
それこそが、唯一無二の自身の力を
引き出していく、道具と自分自身との
関係性を構築していくプロセスです。
ツールコレクターというのも、
それ自体は悪くはないと思いますが、
自分とそれぞれのアイテムやとツールの
ポジションをしっかり作り上げていくと、
無駄に使いこなせずに腐らせてしまう
ようなことはなくなると思います。
昨日はこれだったけれど今日はこっち、
この場合はこれを使って、別のケースでは
あれを使った方がいいとか、
自分のレベルアップや方向性の変化などで
それまで使っていた道具が物足りなく
なることもあるかもしれませんし、
ハイスペックなものよりも、
もっとシンプルなツールで素朴に
楽しむ方が自分には向いている
と気づくこともあるかもしれません。
その時々で、楽しみながら
使って行けばいいですね。
自分が何を楽しみ、何に退屈し、
何がやりにくくて何がやりやすいのか。
道具は、自分の中の思わぬ可能性を
引き出してくれたりします。
同じ道具でも、自分の可能性を開発して
いくつにれ、別次元の存在価値を持つように
なるとかもあります。
道具を物色する前に(しながらでもいいけれど)、
自分自身がどれだけ開発されたのか、
改めて問うてみると、道具の選び方が変わって、
もっと良い道具との出合いがあるでしょう。
自分に力がないと信じ込む前に、
もっと自分自身と対話してほしいな、
ということをつくづく思います。
ろくに対話もしないで決めつけるのは、
自分に対して失礼ですよね。
自分を知り、自分の力を引き出していくにつれ、
格の高い道具と出合っていくチャンスが
自然に巡ってきたりします。
よく、優れた物は持ち主を選ぶ
って言いますが、自分も物を選ぶけれど、
物からも選ばれてるんですよね。
ぶかぶかとハリボテを貼り付けたような
在り方をするのではなく、真に血の通った
道具との関係性を築くように。
アイテムやツールにも、幸せになって
もらえるような関係性を築いていきたいものです。