感情解放のセッションをしていると、
その方の中から様々な時代の
様々な人物のストーリーが
出てくるのですが、
それは、その方自身の別の人生だったり、
ご先祖様やその人とかかわりを持った人物、
入り込んでいる別の存在のものだったり、
色々です。
そしてそのストーリーも、
本当に人生の困難な時期の決定的な
選択をした場面だったり、
その困難が極まった修羅場ような場面や、
人生の最期の臨終の場面だったりします。
私は、そうしたストーリーの場面場面で
それを体験している人が、
その時どんな気持ちだったのか?
何を思い、何を感じていたのだろうか?
何を恐れ、何を避けたかったのか?
何を諦めたのだろうか?
今置かれた状況は、
本心から望んでいることなのか?
どこかで、疑問を感じていたりは
しないのか?
本当に欲しかったものは何だったのか?
今、それは手に入っているのか?
それを手に入れるために、
手放したものはあったのか、
などなど、たくさんの問いかけを
していきます。
相手が多くの人を殺した極悪人だろうと、
善良な被害者だろうと、病に倒れ、
肉が崩れ落ちた病人であろうと、
悲恋に敗れ、憔悴しきった美女、
憎しみに我を忘れ、憎悪と一体化した
悪魔であろうと、
問いに問いを重ねていきます。
あなたが、なぜ今そのようにして
在るのかを知るために。
この今という一点に至るまでには、
無数の出来事とそこで感じた感情や
抱いた思い、そして選択があったはずです。
その道筋を辿るのですね。
そして、もしあの時、受け止めきれなかった
絶望や怒りや悲しみ、惨めさや孤独が
受け止められる自分であったなら、
これとは違った結果があっただろうか、
と別の可能性を探ります。
その人が、本当にそれを望んで
今そこにそうして在るのなら
私が口を挟む筋合いはありません。
けれどもしそうでないのなら、
ねじれたストーリーの糸を
本来あるべき姿に戻していく
お手伝いをさせていただくことも
できるでしょう。
深いダークサイドに堕ちた存在でも、
そんな可能性を掘り起こしたくて、
私は問いかけます。
あなたはそこにいて満足か?
別の可能性に、興味はあるか?と。
私は、それぞれの存在には
在るべき場所があると思っています。
ということは、別の言い方をすれば、
在るべき場所にいない存在もある
ということでもあります。
「べき」という言葉を使うのも
あまり好きではないのですが、
でも他に言い表す表現が
思い浮かばないので、敢えて使います。
たとえば、何か別の存在が体の中に
入り込んで、その人の人生を生きている
ような場合。
これは、明らかにその存在が
在るべき場所にいないということだし、
入り込まれたその人自身も、
本来生きるべき自身の人生を
生きることができていません。
あるいは、
本当は自分で引き受けなければ
いけなかった諸々のことを、
誰かに押し付けたようなケース。
濡れ衣を着せたというようなものも
そうだし、別の存在に感じたくない
気持ちを引き受けてもらったとかもそうです。
また、手っ取り早く取引をして
何かしらの力を得ているような場合も
該当するでしょう。
その力は、その人自身のものではなく、
下駄を履かせてもらったようなもの
ですからね。
いかに強大な力を使っていようが、
所詮はハリボテのまがい物です。
力が欲しいと望む人は多いですが、
自分自身の可能性を開くことをせずに、
安易に横道に手を出そうとする人が多い。
そういう欲望の臭いを嗅ぎつけて、
よからぬことをする輩もないわけでは
ないので、気を付けることです。
とは言え、手を出すときはみな、
自分は大丈夫だろうって
思ってるんですよね。(^^;
高い代償を払うことになるなんて
思ってもみないのです。
今まで、そういうストーリーを
たくさん見て来ましたが、
大してバリエーションはないのです。
みな、同じように不足感や劣等感、
満たされない気持ちを引っかけられて、
まがい物の力に手を出すんですよね。
人類とは学ばないものだと
つくづく思いますが、
何度引っかかろうと、
自身の本当の力に繋がり、
在るべき姿に立ち返らなければ、
同じ事を繰り返します。
まがい物の力は本当の意味で自分を
満たすことはありません。
どれだけ力をふるっても、
心は重く、どこか空虚で幸せでは
ありません。
そうして、闇の力に倦んでいく。
でも抜けられない。
そんなものです。
だから私は問うのです。
それはあなたが本当に求めた
ものなのだろうか?と。
そして、ねじれた糸を辿って、
様々な選択ポイントで
引き受けるべきことを引き受け、
偽の力を手放し、本来の力に
帰っていくように導きます。
あなた自身の本来の力を取り戻し、
在るべき自身の人生の歩みに
戻るように、と。
ねじれた道筋の一番最初の始まりは、
自分自身を見捨てていることです。
だから、自分自身に帰ることで
ねじれたすべての糸が、正しく
在るべきように戻るのですね。
すべての存在が、在るべき場所で、
己の命の歩みを全うするように。
そんな思いで、今日も
セッションをしています。