激動の2020年、今日を残すのみとなりました。
みなさんは、今どこでどんな風に
このブログを読んでいらっしゃいますか。
今年も、たくさんの方々にお会いしました。
また、お会いしていなくても、
このブログにたどり着き、読者になって
くださった方たち、
サロンにはご無沙汰だけれども、
ブログを継続して読んでくださっている方々。
本当に本当に、ありがとうございます。
有形無形の皆さんのお声に励まされて
今年も無事に一年を過ごすことができました。
心から御礼申し上げます。
まだまだ未熟者ゆえ、
力及ばずお力になれなかったり、
サポートが至らなかったことも
あったと思います。
そんな自分の未熟さに、
時に打ちひしがれ、思い迷い、
それでも後押ししてくださる
あなたのお気持ちに力をいただき、
奮い立ってここまで参りました。
また新しい年も、ヘタレ故に
ぐだぐだしてしまうこともあると思いますが、
精一杯精進してまいりますので、
どうぞ叱咤激励のほど、
よろしくお願い申し上げます。
自分の未熟さに対峙するということは、
身悶えするほどに苦しいことがあります。
恥ずかしさと劣等意識と無価値感に
襲われて、どうにも身の置き所のない
思いが致します。
けれども、わかったつもりで
お茶を濁して先に進もうとしても、
やっぱり同じところに戻ってきてしまいます。
己の至らなさを中途半端にわかるくらいなら、
打ちひしがれるくらいに思い知った方が
良いときも、あるのだろうと思います。
ふてくされず、すねずに自身の身の丈を
知るには、じりじりと身を焼かれるような
その苦しみすらマスターできなければ、
冷徹に己を見つめる目というのは
養うことができないのかもしれません。
感情解放のセッションを
させていただいているとき、
クライアントさんの、相当に痛いところに
斬り込んでいくような時もあるのですが、
そんなとき、自身の放った言葉がそのまま
自分自身にも返ってくるのを感じます。
そういうエネルギーも感じ、受け止めつつ
さらに深く斬り込んでいく。
その繰り返しの中で、
ブレずに己の本分を全うすることにのみ
意識を置いています。
ここがブレてしまうとフォーカスがぼやけ、
放つ言葉もぼんやりとして開く扉も
開かなくなってしまいます。
私にとってセッションは、
その方の可能性を開く外科手術のような
ものでもあり、同時にそれは、
私自身を深く切り開いていく手術のようなもの
でもあるように感じています。
数年前の私だったら捉えられなかった
レベルも捉えられるようには確かになっていて、
それに伴ってセッションのやり方も
かなり変わってきています。
けれども、まだまだ深く「奥」を捉えていく
目を磨いていく必要性を痛感している
ところではあります。
たとえば、
深く眠りにまどろむ「奥」が、
何を望んでいるのか。
何ゆえにそこまで深くまどろむように
なってしまったのか。
何者かに介入されているのなら、
なぜそれを許しているのか。
根本的に、こうしたところも
読み取れるようになっていきたい
というのが直近の目標です。
人間の心は、
本当に一筋縄ではいきません。
自分自身を欺いていることも
珍しくはないので、
そのねじれたトリック&トラップを
潜り抜けて、「本当のところ」に
帰っていけるように。
傷つきたくないがゆえに、
元の姿がわからなくなるほどに
覆いかぶせた鎧の数々を降ろして
行けるように。
これまで、
自分の皮膚だと信じていたものが鎧だった
なんてことは珍しくないのですから。
新しい年、あなたがのびやかに、
自身を表現する喜びを
この人生で生きられますように。
自分を世界から分離させて、
自分を守る孤独、悲しみから
解き放たれますように。
誰かを憎み、何かに怒り、呪うことで
自分をそこに縛り付ける苦しみを
終わりにすることができますように。
頭で考えるポジティブシンキングではなく、
理屈を越えて、愛されていたこと、
守られてきたことに気づいて、
感謝の思いにただただ涙する。
そんな体験ができますように。
自分の命、人生、この世界を祝福する力が
自分にはあるのだということを
思い出すことができますように。
どの瞬間からでも、
あなたは自分で自身の人生にかけた呪いを
外すこともできるし、祝福することも
できるのです。
新しい年に、
あなたが自身の本来の力を、
力強く取り戻していきますように。
今年も、たくさんたくさん、
ありがとうございました。
新しい年も、どうぞよろしくお願いいたします。
愛と感謝を込めて。