自分の信念を貫くことと我儘の違い

30日(水)は、19時から今年最後の
満月のオンライン瞑想会を行います。

新しい年のスタートをしっかり切れるよう、
今年の総括をして、締めくくっていきましょう。

いつものように、お一人お一人のリーディングと
メッセージをお伝えし、ヒーリングの働きかけを
行っていきます。

ご都合よい方はぜひどうぞ。(^^)
http://healing-gate.com/blog/seminner/fullmoonmeditationmeeting/

さて。

突然ですが、自分の信念を貫き通すことと
ただの我儘って、何が違うと思いますか?

信念を貫くことは、多かれ少なかれ
我儘なものさ、なんて思う方も
あるかもしれませんが、

私はそれはちょっと違うんじゃないかな、
と思っています。

信念を貫くことは、高尚な何かの思想に
裏打ちされた強い意志で、我儘は
ただの幼稚な独り善がりというのも、
まだうまくこれらの違いを
言い表してはいません。

何をもってして高尚と言い、
幼稚というのか、その定義も
なかなか難しいでしょう。

私が思うに、両者の一番の違いは、
人が何か自分の強い意志で行動するとき、
当人がその行動の責任を取っているか否か、
ではないかと思います。

ただの我儘は、言いっ放し、やりっ放しで
自分のやりたいようにやるけれど、
それによって起こってきた結果に対して、
何ら責任を取らず、放り投げています。

自分の信念を貫き通すと表現するのなら、
必ず自身の行動の責任は取らなければ
なりません。

そうでなければ、
人から、あの人は自分の信念を貫いたのだ
と言われることはなく、ただ我儘な人だった
と言われるだけでしょう。

そういう意味で、
自分のやったことの後始末をきっちりする、
というのは、まともな大人の判断の基準かな、
と私は思っています。

社会的にも、自分の後始末をしない人って、
信用されないですよね。

蛇足ながらその話の延長線上で、日常的に
ゴミ捨て場ではないところにゴミを置いて
立ち去ることのできる人や、

火のついた(ついてなくても)たばこを
道端に投げ捨てていくなどをする人を、
私は信用しません。

そういうことが平気でできてしまう神経
でいるということは、

きっと自分のやった行動の影響が
わからない人であり、

後は野となれ山となれで、
人生のあらゆるところで直面することが
できず、逃げる人であり、

自分の都合が悪くなれば、
簡単に人を裏切る人である、
と見るからです。

そんな大げさな、そこまでひどくないよ、
と思われるかもしれませんが、
心の構造的に見ると、多かれ少なかれ
そういうことは言えると私は思っています。

気づくべきところに気づける感性が
ちゃんと生きていれば、始末をしないこと
への心地悪さや、自分自身の在り方の
濁りのようなものがわかるはずだからです。

そういう感性が閉じているからこそ、
できてしまうことがあるんですね。

単なる表面だけ、たまたましてしまった、
やろうと思えばちゃんとできるんだ、
というレベルの話ではないのです。

よく、厳しい修行をするお寺さんなんかでは、
とにかく掃除地獄という言葉があるくらい、
徹底的に身の回りを掃除することを
修行僧たちに課しますね。

それは、ただきれいにしなければいけないとか
浄化が大事だとか、そういう意味だけではなく、
気づき、感じる感性を育て、鍛え上げている
のだろうと思います。

そんなことが、自分の行動の責任を取る
ことのできる人間を育てていくうえで、
非常に大切な基盤を作っているのですね。

自分の言動が、どんな影響を及ぼすのか。
人を励ましているのかもしれないし、
反対に、傷つけているのかもしれない。

自分の放ったものに対して、
返って来たものから、
自分が逃げないで居られるかどうか。

ときにそれは、ものすごく恐いこと、
きついことかもしれません。

けれども、そこで踏みとどまって、
どこまで直面し、応答していけるか。

それは、自分の信念に対して
人生が問いかけるテストのようなものです。

それは貫くに値する信念なのかどうか、と。

困難があったとしても投げ出さず、
粘り強く応答し続け、
打開の道を見出せたのなら、
それが貫く意義のある信念なのでしょう。

自分がそこから逃げてしまうのなら、
その程度の我儘だったのでしょう。

様々なプレッシャーの中で貫く思いは、
ブラッシュアップされて行きますから、
必然的に自分自身の人間性が大きく
成長する場面を何度も提供するでしょう。

そのような信念を抱くことができ、
またチャレンジする機会を得た人は
幸いです。

単なる幼稚な我儘で終わるのか、
輝くような意義ある道を切り開く
人生にするのか。

独り善がりの空回りで終わらせないためには、
自分自身の放ったものの行方に
しかと直面する眼差しを持つことです。

すくみ上るほど恐ろしい、
そんな恐れに、勇気をもって
挑んだらいい。

そんな風に思います。

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