今日はお知らせから。
新年早々予定変更があり、
7日(木)、8日(金)に空きが出たので、
急ですが個人セッションをご希望の方、
ご連絡くださいませ~↓↓↓
https://ssl.form-mailer.jp/fms/aff83813470243
さて。
お正月から続けているセルフワークで
少し見えてきたことがあったので
備忘録的に書いてみようと思います。
ハートから喉の奥にかけて反応のあった、
エネルギー的なしこりをずっと
意識で辿ってそこで感じるものを
ひたすら受け止めていました。
私はセルフワークの時は、
あまりストーリーを掘り下げる
やり方は、今はあまりしていません。
結局のところ、ストーリーは
そのエネルギーの詳細を突き止めるための
脇役的なものなので、
そこにあるエネルギーをピンポイントで
ズレなく捉え続けることができるなら、
ストーリー自体はさほど重要ではないからです。
ぴったりとそのエネルギーを受け取れれば、
ストーリーを読もうとしなくても、
それ自体が秘密を明かしてくれます。
理屈抜きに、あぁ、そうだったんだ、
とわかるんですね。
セッションの時は、
その方ができる限りそのエネルギーの
真実に近づくためには、ストーリーを
掘り下げた方が入りやすいので
そういうやり方をしています。
感情のエネルギーの真実を知るには、
自分が最も避けたがっている方向に
向かって降りていくということをします。
実はこれが一番の近道で、
けれども最も抵抗と負荷の強い
やり方なんですね。
ただ、精神的にも、肉体的にも
そこそこの負荷がかかります。
エネルギーが体の中をバキバキ言いながら
動いていくので、実際に骨や筋肉が
痛くなったりします。
まぁ、死ぬほどではありませんが、
本当に核心に向かって統合が進んでいるなら、
結構ぐったりはしますね。
これをブレずにある程度集中して
自身の最も苦しいところ、避けたいところに
進み続けることができるなら、
最短コースで行けるのでお勧めです(^^)
さて、そんなこんなで今回もいつもの如く、
ひたすら体の中でうごめくエネルギーを
辿っていきました。
すると、小学生から高校生くらいまでの時代の
様々な抑圧されていた感情の残骸のようなものが
いくつも浮上してきました。
もうずっと忘れていたけれど、
あの時代は確かにいつもこんな感じだったな~
と、慣れ親しんだそれらの重苦しい
虚しさや淋しさ、悲しみ、殺伐とした
諸々の感情を受け止めていきました。
今の私なら、もうそれらの感情を
抑圧しておく理由はありません。
ちゃんと受け止めても、生きていけるから。
そうやって、心の奥に澱のように沈んでいた
古い感情の数々を掘り起こし、受け止めていくと、
さらにもっと小さいころの
抑圧の蓋が現れてきました。
あぁ私は、こんなに小さいころに、
深く諦めたのだ、とわかりました。
その諦めは、私の人生において、
ものすごく決定的な方向付け
となっていました。
私はそれを、望んではいけない。
私にはそれは、与えられていない。
私にはふさわしくないのだ。
この思いは常に心の奥で痛みを伴いながら
リフレインされ、人生の些細なことから
重要な局面に至るまで、ホログラフィックに
その痕跡を刻んできました。
というより、これによって人生の骨組みが
構築されて行ったと言った方が
適切かもしれません。
望んではいけない願いならば、
端からそんなものはない方がいい。
最初から、私にはそんな望みはなかった。
そういうことにして、
私は自分自身のベースを作り上げて
来たのでした。
ふとした瞬間に、望みが浮上するたび、
私は自分の心を引き裂き、
完膚なきまでに徹底的に楔を打ち込んで、
二度とその雄姿を見せることがないよう
敵国によって海底に沈められた
戦艦の如く、心の奥に沈めたのでした。
自分でも、そんなものがあったなど、
思い出せなくなるほどに。
そんな自分の心の秘密が明かされつつ、
だから私はいつも、ものごとに
こういう反応の仕方、意識の向け方、
言葉の使い方、態度をするのか、
と諸々腑に落ちたものがありました。
それは、自分でも時に不可解に感じていた
ものではありましたが、
ずっと理由がわからなかったし、
修正もできなかったのです。
けれど、それがようやくわかりました。
自分で、これほどまでに徹底的に
封印されたものであるがゆえに、
そう簡単に修正できるもの
ではなかったんですね。
今、その封印の解除作業中です。
自分で自身に打ち込んだ楔を
一本一本抜いていく作業は、
確かにハートが痛いし、
沈めていた悲しみや絶望や淋しさも
噴き上がってくる。
けれど、今の私には、
それほどキツくはないから
十分にできる。
感情解放ワークでは、
諦めは感情の蓋であるとお伝えしています。
諦めずに望みを持ち続けていたら、
とても耐え難いので、諦めてその苦しみから
逃れようとするのですね。
本当の自分を取り戻すには、
蓋を外してその耐え難い苦しみを受け止め、
統合しなければなりません。
望みを抱ける自分を取り戻すのです。
それにしても、あまりにも長い間
自分の望みを封印して、その上に
アイデンティティを構築してきているので、
今の私の在り方は、
望みを抱かないでいる方が楽な
在り方に矯正されてしまっています。
これを転換するのは、
なかなかなこと、ですね。
引き続き、取り組んでいきます。