今日はいつもと毛色が違って、
今この国に生きる者として、
色々考えたことがあったので
これについて書いてみようと思います。
先日、埼玉県大宮の氷川神社に参拝に
行ったのですが、お天気も良く、
丁度桜の季節ということで、
隣接する大宮公園を散歩してきました。
こちらの桜もいい感じに咲いていて、
人々が思い思いに桜を愛でているのを見るのは、
しみじみ日本人としてのアイデンティティを
感じる瞬間ですね。
普段は公園の方は行かないので
知らなかったのですが、
池の周りをぐるっと回って歩いていたら、
ひと際厳かな雰囲気の護国神社が
見えてきました。
折角なので、と参拝させて頂いたのですが、
こちらでは、鳥羽・伏見の戦い以降の
英霊たちを祭っているとのことでした。
護国神社と言うのは、戦争で亡くなった
英霊たちを祭る神社です。旅先でも、
その地域、地域でよく見かけますね。
個人的に、国のために戦われた方たちに
気持ちを向けるとき、ものすごく
深いところで感応するものをいつも
感じます。
戦争ですから、決してきれいごとばかり
ではありませんが、彼らが何のために
戦ったのか、ということは、
彼らが命を懸けて守ろうとしたこの国に
今、生きる者として、忘れてはならないし、
敬意を払って大事にしたいな、
という思いがあります。
それは、特に政治的に右寄りとか何とか
ではなく、この国に代々住んで、
生きてきた者としての自然な気持ち
だと思います。
けれど、現代日本社会において、
そういう気持ちを抱くこと自体に
何か罪悪感と言うか、持ってはいけないもの、
触れてもいけないもの、であるかのような
ブレーキが無意識にかかるのを感じるのです。
そこには、私たち日本人の意識下に
巧妙に植え付けられたプログラムが
働いているような気が以前から
していました。
それが一体何なのか、最近になって
あぁ、そういうことだったのか、
と分かってきたのですが、
近現代の日本が経験した第二次世界大戦や
日清・日露戦争における日本という国の
捉え方は、非常にネガティブです。
戦後に自虐史観と言われるものが
学校教育やマスメディアなどを通じて
78年間私たちの意識下にインプットされ、
ジワジワと自尊心を蝕んでいることに
どれだけの人が気付いているでしょうか。
自分たちの歴史をどう捉えるかは、
自分たちの根っこをどう扱うか
ということとイコールです。
たとえば、自分のご先祖様、
祖父や祖母、両親がどうしようもなく
人様に迷惑をかけた犯罪者だったりしたら、
自分と言う存在を誇りに思うことが
できるでしょうか。
あるいは、ご先祖様たちが
世界のために、多くの人のために
尽力して功績を残した素晴らしい人だった、
と感謝されたら、その子孫である自分も、
誇らしい気持ちにならないでしょうか。
直接自分のことではないけれど、
関係ないとは思えないし、実際に
エネルギー的にも影響を受けています。
だから、自分の父祖の歴史を
ポジティブに捉えられないように
なっているということは、
今を生きる私たちから、
健全な自尊心や誇り高さ、善良さなどの
先祖から受け継いだ善き資質を
封印されているに等しいのです。
もちろん、長い歴史の中で、
光もあれば闇もあります。
それは否定しないけれど、
でっち上げの嘘をインプットされ、
全てが悪だった、良いところなんて
無かったんだ、とするのは
フェアではないと思います。
巷に喧伝されている
先の戦争における日本の行為の中でも、
明らかに間違った情報が日本のみならず、
世界に喧伝されている、という
事実があります。
そうやって、
ネガティブな日本の情報を拡散し、
人々にそういうイメージを植え付けることで
日本の力を削いでいこうとする
何かしらの意図が、厳然としてある、
ということに無意識で居てはいけない
と思うのです。
台湾や大韓帝国の日本統治時代に
日本がどれだけ彼の地の近代化に尽力したかとか、
大東亜戦争で日本が戦ったことが、アジア諸国の
独立や近代化に影響を与えたかなど、
自ら学んで知ろうとしなければ、
知らないまま、日本は戦争で悪いことをして
近隣諸国に迷惑をかけたのだ、と
思い込んでいるでしょう。
私自身、高校で世界史を学んだときに、
先生から「日本は戦争で近隣諸国にとても
迷惑をかけたのだから、反省しなければ
なりません」というように教えられた言葉が
今でも記憶に残っています。
アメリカの戦争特派員でフリージャーナリストの
マイケル・ヨン氏は、「国境を越えると歴史が変わる」
と言っています。
ある国での英雄は、隣の国では
最悪の侵略者だったりします。
このように、歴史は見方次第で、
何が正しいのかという基準はないかもしれません。
けれど、事実を正しく知ることは、
私たちの誤った認識を正し、
歪んだ歴史観を修正して
健全な自尊心を取り戻すためには
とても大切なことだと思うのです。
マレーシアのマハティール氏や
昨年亡くなった台湾の李登輝氏も、
日本に熱烈にエールを送ってくださっていたのは、
私たちの先祖が彼の国の人々の心に
何か素晴らしいことを残し、刻んで行ったから
ではないでしょうか。
そのことを、子孫である私たちが知らない、
というのはおかしいではありませんか。
この国に深く植え付けられた呪いのような
プログラムを、私たち一人一人が
解除していかなければならない、
ということを考えたのでした。