諸刃の剣をマスターする

最近、読者の方はご存じのように、
私は日本とは、日本人とは何か
ということを知りたがっていて、
色々模索しているところなのですが、

そういう領域に足を踏み入れること自体、
ものすごく自分の中がサワサワするんですよね。

読んでくださっているみなさんの中にも、
多分、こういう話題を持ち出すこと自体に
理由もわからず、嫌な気持ちになっている方、
いらっしゃるんじゃないかな~
と思ったりします。

でも!!!
私は向き合っていくし、書いていきます。
負けないもん!(`^´)

こういう反応が起こること自体、
そこに見るべきものがある、という
サインでもあると思いますから。

一体何に、なぜこんなにも反応しているのか、
見極めなければなりません。

私はごくナチュラルに、
なんだかんだ言っても自分の生まれ育った
この地域、この国が好きだし、
日本人の細やかな感性や、それをベースにした
文化というのは、素晴らしいものがある、
と思っています。

けれども、そういう気持ちを
「愛国心」と言ってしまった途端に、
ネトウヨだ!極右だ!危険危険!
と言われそうな気配をヒシヒシ
感じてしまって、

発信しようとする気持ちが警戒感から
シュ~ン。。。と委縮してしまうのを
自分でも感じています。

これで、自分の家や部屋に
日の丸なんか飾っていたりしたら、
ほんとにヤバい人、みたいに
思われてしまいそうですよね。

でも、それの何がいけないのか、
と言われると、別に何も悪くはない
と思うのですけれど、

それだけ、
この国の国民が自国を愛することに対して、
何か強烈なバリアが張られている
証左のような気もします。

愛国心が行き過ぎたナショナリズムとして
暴走するのは確かに恐いし、
それはダメだと思うのですが、

けれど、自分の国を忌み嫌い、憎むこと、
罪悪感から誇りを失っている状態とか、
そこまでいかなくても無関心であるとかいうのも
良くない、というよりは、ダメだと思います。

それは、個人に置き換えて言うと、
自分を呪うこと、無関心であること
とイコールです。

これまで、私はセッションで
たくさんの方が自身の命、人生、世を呪って
自ら生きる世界を地獄にしてきているのを
見て来ました。

だから、
自分の国を呪うこと、忌み嫌うことをしていたら、
絶対に国力は落ち、そこで生活する人々は
諸々の存在にコントロールされるがままになって
自主性を失い、良いように搾取されて行くのは
目に見えている、と感じます。

そこは完全に相似形になっています。

故に、自分の命や人生を祝福するように、
自分の生きるこの国を祝福することは、
平和に、幸せに生きたいのなら
絶対に不可欠なことだと思っています。

けれど、そうすることに
何かしらの圧を感じ、躊躇している、
ということに、いかなる力が
働いているのか。

そこに、ひどく意図的な力の影響があるのが、
エネルギー的にも読み取れるんですよね。

その力の正体が何なのか、
自分なりに探っていきたい
と思っています。

戦後、日本人は小粒になった、
とはよく言われることですが、

戦前の日本人がどんなだったか知らない世代は、
へ~、そうなの?くらいにしか思わないでしょう。
私自身の認識も、その程度でした。

でも、色々な資料に触れてみると、
(まだちょっとですが)
どうしてこんなにも違うのだろう?と
思わざるを得ないのです。

大東亜戦争以前、
長きにわたる西欧の植民地政策に
苦しみ続けてきたアジアの人々が、
同じ黄色人種でありながら
威風堂々とした誇り高き日本人に出会ったときに、
どれだけ希望を見出し、奮い立ったか、

今の時代を生きる私には、
その心情は、いかばかりであったかと
想像も及びません。

あの戦争は、日本の侵略戦争だったとか、
色々日本もひどいことをした、
という見方も受け止める一方で、

もう一度、日本人としてあの誇り高さを
取り戻しても良いのではないか、
と思うのです。

それは、差別主義とか、他国、他民族を
下に見る優越感とは似てもおらず、
完全に非なるものです。

ここは絶対に混同してはならないポイントだと
念を押しておきます。

戦後のGHQの6年8か月にわたる占領期間中、
国を支えていた多くの人々が公職追放されたり、
GHQに都合の悪い情報が書かれた
数千冊の本が焚書されたこと、またマスメディアの
検閲など、多くの情報操作が行われました。

その影響は、現在の情報空間にも色濃く
残っていますが、戦後生まれの私たちには、
その歪みに気づくことはほぼありません。

ナショナリズムは、ある種、
諸刃の剣のところは確かにあると思います。

けれど、それは国民にとっては
アイデンティティの大切な芯であり、
力の源です。

であるならば、
その力を恐れて自ら封印するのではなく、
認め、受け入れて徹底的にマスターする方が、
より健全ではないかと思います。

これは、個人にも言えることですね。

自身の真の力を恐れて封印している構図は
非常によく見かけるけれど、結局
歪みに歪みを重ねて、苦しみを生むだけなのです。

だから、私はセッションでは、
戒めや抑圧を外して、それがなくても
大丈夫な自分になるよう促します。

腫れものを遠巻きにして眺めるのではなく、
徹底的に検証して痛みの根っこを
根治する。

どうにかして、
そういう道を探りたいな、と思います。

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