このブログではしばしば
自分と対話するとか、
ハートの声を聞くとか、
魂の導きを受け取るとか、
そんな表現を使っています。
だから、読者のみなさんも何となく
そんな概念を受け入れて、
それについて意識されたり、
実践なさっている方もいらっしゃいます。
それはお伝えしている私としても
みなさんの日々の歩みがそれによって、
何かしら有意義になるとしたら
とても嬉しく思います。
ただ、実際にセッションをして
その方の意識に触れた時に、
やはり言葉の限界を感じるというか、
正確に伝わっていなかったり、
間違った解釈をされてワーク自体が
行き詰まる原因になっていたり
というケースをしばしば見かけます。
最近気になるパターンとしては、
ハートの声を聞いているつもりで
実は頭の思考(マインド)で考えている状態
というパターンで、
本人はそのことに全く気づけていない
ということがあります。
結構長く感情解放ワークに取り組まれてきて、
セッションも何度もお受けになっている方でも
そういうことがあるので、
その識別はなかなかに難しいものだな、
と思うのですが、こうなってしまう理由も
いくつか挙げられます。
一つは、非常にコントロール意識の
強い方の場合。何としても自分の思うように
現実を動かしたい、と思うあまり、
魂の導きに自分を委ねることに、
非常に抵抗感があるんですね。
ハートの声を聞くことや導きに委ねることは、
何となくの雰囲気でふんわりほんわか
やるようなことではなく、
実は結構厳密にその領域に意識を
チューニングする必要があったりします。
その時に、我の強い意識では、
そういう領域につながることはできなくて、
自分が自分が!という意識を静めて聞く、
と言う状態にしなければいけません。
聞くからには、自分の心が何かもじゃもじゃ
しゃべっていたら聞けないし、
こちらから何か要求ばかりを突き付けて
あーだこーだ言っていても聞けません。
ただ静かにして、微かな囁きを聞き取るが如く、
ジ~っと心を凝らして受け取るのみなんですね。
だから、コントロールしたい気持ちが強かったり
自分の聞きたい声しか聴きたくないという
独り善がりの姿勢だと、聞き取れないのです。
二つ目は、
自分自身を全く信頼していない人の場合。
人生のどこかで、決して自分を信頼してはならない!
と決意した方もあります。
そういう決意って、エネルギー的に見ても、
しっかり自分との断絶の壁を作っていたりします。
これは、一つ目のパターンと被る部分
でもあるのですが、自分が信用できないから
徹底的に頭でコントロールしようとするわけです。
だから、そもそも魂の導きなんか信じていないし、
それよりも頭の理屈で考えたことの方が
ずっと信用できて安心感も感じるんですね。
魂の導きなんかを受け取ろうとすると、
不安で不安で仕方がなく、それに耐えきれずに
結局ハートの声を聞いたふりをして実は
都合よく頭で考えた声で誤魔化すのです。
でも指摘されないと、本人はほぼ気付かなくて、
自分すらもだましていることがほとんどです。
ここが質の悪いところで、
自分は本当にハートの声を聞き、魂の導きを
生きたいんです!って顕在意識では
思い込んでるんですね。
だから、あなたの受け取っているものは
ハートの声じゃなくて、マインドですよ
って指摘されると、本人もとても
混乱してしまったりします。
こういうときは、しつこく厳密に
本音を炙り出すために問いを重ね、
追究して顕在意識に自分の本音を
認識させることが必要です。
でも、自分の本音が浮上してきても、
一時は認めるものの、本当に深く受け止める
ことができる人は少ないです。
自分自身を信じていない。
命の深い導きに繋がりたいとも
思っていない。
そういう人ほど、なぜかその反対の
魂の導きやハートの声を受け取りたがっている
人が多いのは何とも皮肉なところです。
そう言えば、完璧主義の傾向が強く、
表面的には理想を求めているけれど、
深いところでは正反対のものが
人並以上に強固に存在している人って
自分の中の理想とは反対のものを
なかなか受け入れられず、
苦戦する人が多いですね。
一旦は受け入れたように見えても、
諦めて蓋をしただけだったり、
根強く抵抗していたり。
そうなるのは、根本的に
受け入れることという理想に
自分をねじ込もうとするからです。
でも、受け入れるという結果は、
その人の中で、本当にその要素の意味が
理解できて、愛に触れるからなるのであって、
結論ありきの話ではありません。
魂の導きを受け取るというのは、
そんな小手先でやるようなことではなく、
それが本当に自分自身のあるべき姿なのだと
「深く実感する」からそれを求めるのです。
決して、ポジティブな理想のイメージに
近づけるからやるものではありません。