人に何かを求めるとき、
相手に自分がどのような姿勢で
臨んでいるか、というのは
大事なことだと思います。
たとえば、
相手が自分の願いを叶えてくれるのが
当然だ、と言わんばかりの横柄な態度を
取っていたら、
それは常識的に考えたら
とても失礼なことだろうし、
何か教えを請おうと思ったなら、
自分にとってそのことが
重要であればあるほど、
襟を正し、礼をもって
謙虚に学び、身に着けようという
真摯さ、情熱、主体性は大事でしょう。
相手にすべておんぶにだっこ、
というのは、どうでしょうね。
たまに、霊性の道を歩んでいる「風」
の人(あくまで私個人の主観です)が、
本物のグル(霊性の師)に出会いたい、
誰が本物なのか、と言っているのを
何度か聞いたことがあるのですが、
その気持ちもわからなくはないけれど、
自分でそれがわからないのなら、
それまでの歩みなのだろうし、
本物を求めるのなら、
自身の歩みが本物であることが
大前提だろうと思います。
そして、その言葉の裏には、
間違った人についていって、
自分がえらい目に遭いたくない
という恐れが見て取れて、
自分の歩みについての自覚のなさ、
無責任さにそこはかとなく嫌気がさした
ことがありました。
まぁ、あくまで個人的な感覚です。
グルは、今生で出会うべき
シナリオになっているのなら、
自分の準備ができた時に、
必ず出会うようになっている
ものだと私は思っています。
そこまで自分が成熟していなかったら、
きっとグルが横に立っていても、
それと気づかず素通りしているか、
話しかけられても、唾を吐いて
切り捨てているかもしれません。
本物の教えを受けたければ、
それが教えだと気付けるくらいには
自分の感性が成熟していなければ
いけないし、
受けた教えを血肉とすることが
できるくらいの力が無ければ
ならないでしょう。
グルが本気で向き合ってくださったとき、
逃げずに自分も本気で応答できる
姿勢でいるのかどうか。
相手から何を受け取るのかは、
自分自身の姿勢ひとつなのです。
こんな風にイメージしてみたら
わかりやすいと思いますが、
あなたの中に素晴らしい叡智と
インスピレーションがあって、
誰かにそれを伝えたいと思った
とします。
けれども、それを伝えようと思う人が
興味なさそうに明後日の方向を
見ていたりしたら、
話は弾まず、あなたも話したくても
言葉が出て来なくなるのでは
ないでしょうか。
一方で、相手が興味をもって
熱心に質問したり、合いの手をうって
もっと多くのことをあなたから聞きたい
と言ってくれたなら、
あなたもさらに熱量を込めて、
深い話をしてみようと思うのでは
ないでしょうか。
相手の引き出しの中にあるものを、
どれだけ引き出せるのかは、
相対する自分次第でもあります。
相手が本物なのかと言う前に、
本物の探求者は、いかなる場面や存在からでも
本物の叡智を自分で見出していくでしょう。
まずは、自身の在り様が
自分の求めるものに見合うような
ものになっているのかどうか、
良い子、良い人で在れと言っている
わけではないのですが、
頭でっかちに礼儀、礼節を言うのではなく、
真摯さ、誠実さ、本気度など、
しっかりと相手と対峙して
そこに鏡のように映る自身の姿を
見てみたら良いと思うのです。