そうしたいと望みつつ、
なかなかそれができない人がいます。
こういう場合、
大きく二つのケースがあるな、
と思うのですが、
一つは、
本当にそれを望んでいるのだけれど、
何らかの要因が引っかかって、
できなくなっているケース。
もう一つは、
本当のところ、それは望んでいないのに、
頭だけでそうした方が体裁が良いとか
様々な都合が良いからそうしたい
と口先だけで言っているケース。
この場合は、
内面が分離していることに
本人も気づいていないことも
珍しくはありません。
両者は表面に現れている状態は
同じように見えるけれど、
心の奥深くの在り様が
全く違っています。
故に、当然アプローチも
全く違ったものになり、
前者の場合は、引っかかっている要因を
一つ一つ解いていけば、本人の望み通りに
出来るようになっていきます。
後者の場合は、まず自分の本心を
しかと見て、認められるようになることが
できるかどうかがカギになります。
後者の方が分離が深く、
自身の本当の姿に直面することが
非常に苦しく感じることが多いですね。
真実に直面することをすっ飛ばして
先に行こうとしているので、
枝葉のところをぐるぐるして、
なかなか思うように結果が出ず、
遠回りしがちです。
本質的なところを無意識にも避けて、
小手先で問題に対応しようとしているのが
特徴と言えるでしょう。
自分が口先だけで言っているのか、
本当に肚の底から言っているのか、
長年、分離が深い状態で
過ごしてきていると、
自分ではなかなかわからない
と言う方も多いのですが、
少なくとも、
たとえ聞こえなかったとしても、
ハートの声を聞こうと心を澄ませている
ことをしている人は、その姿勢は
ちゃんとエネルギーレベルでも
読み取れます。
その誠実さが、肚の在り様を作ります。
一方で、ハートの声を素通りして
そもそも聞く姿勢がない人は、
常に上ずった状態で空回りしますね。
ハートの声を聞くという姿勢が
持てない人は、まずその自分を
認めるところから始めないといけません。
頭ではそうした方が良いと思っていても、
深いレベルで神への怒り、不信、憎しみや、
どこかに後ろめたく感じるような
何かの要因を隠していることが
あるからです。
それを隠したまま、いくら聞こうとしても、
心底不信や怒りを抱いていて、
それに心が開けるはずないでしょう。
どうしても向き合うことができない
と言うその奥には、ただ自分が怠慢だから
というだけではない、深い事情があるのです。
そういうところに丁寧に拾って
向き合うということも、
自分自身への愛です。
関心を持って、見捨てず、ジャッジせず、
理解し、受け止め、応答する。
そうやって初めて、自分自身との
信頼関係が構築されて行きます。
自分だけではなく、どんな他の存在にも
同じことが言えるでしょう。
最初にそれをすべきは自分自身なのですが、
その認識がない方が多いですね。
まずは知ることから始めましょう。