どんな分野でも、スタートを切るには、
まず現状認識をしっかりすることが
大事だと思うのですが、内観でも
同じことが言えます。
自分は今どんな状態なのか、
何ができていて何ができないのか、
これまで、何をどんな風にしてきて
今その状態なのか。
自分がそうしたいと思っていること
に対して、自分は実際にどんな姿勢で
向き合っていて、どんな行動を
起こしているのか、いないのか、等々。
誰しも、自己認識と言うのは錯覚の
オンパレードみたいなところがあって、
それで現実に支障がなければ、
何も問題はないのでしょうが、
どこか生き辛さがあったり、
支障があるのなら、その認識を
根本からチェックしていく
必要があるでしょう。
自分はそうしたいと思っているし、
そのために向き合っている、
努力している、行動している、
と思っていても、
掘り下げてみると、
実はそうすることにものすごく
抵抗があるのを強烈に抑圧して、
そんなことを望んですらいない
ということはよくあるし、
そういう自分をどこか恥とか
いけないことだと思って、
他人事のように分離させ、
隠していることもあります。
そうして表面意識では、
そう望んでいて努力もしているのに
なぜか進展がないんです、
うまくできないんです、という認識に
なっているのです。
そうなると、自分では
やっているつもり、出来ているつもり
だけれど、やってもいないし、
出来てもいないという現実の認識が
ないまま、空回りしていきます。
自作自演のフェイク世界に
ぐるぐると彷徨い続け、結局何も進まない
ということになるでしょう。
そういう状態にある人が、
本当に地に足をつけて現状を認識し、
歩み出すには、相当に苦しい
プロセスを経なければいけない
場合もあります。
それがなぜかというと、
やってもいないしできてもいない、
そもそも望んですらいない、
という現実に直面することは、
それまで自分が生きてきた世界を
根底から突き崩すことになるからです。
こんな自分だったのか、という
深いショックと動揺を感じ、
失望や虚しさ、無力感など
感じるかもしれません。
真実と言うのは、耳触りは良いし、
実際に最高の良薬ではあるけれど、
同時にものすごく強烈な劇薬
でもあります。
理想とは程遠い現実の自分に直面せず、
そうではない理想の自分と取り換えるように
自分を変えて行こうとする人を
しばしば見かけますが、
自身の真実に直面もできない自分で、
どうやって理想を体現した自分に
なろうというのでしょうか。
その理想と言うのは、
そういう自分で達成できるもの
なのでしょうか。
どれだけ理想とは程遠い自分
であったとしても、その自分を認め、
その自分とともに歩み、生きていく
しかないのです。
その自分を分離させ、他人事にしていたら、
スタートにも立てません。
そして、自身の真の力にも繋がれず、
どこかからか借りてきたか、奪った、
または不当に手に入れた邪な力で
浮ついた人生を生きるしかなくなります。
そういうことを、これまでにも
様々な角度から書いてきたけれど、
スタートに立つということが
どういうことなのか、
実際に自分はどうなのかと
問う人は稀です。
真に自身の魂の願いを生きよう
と思うなら、今の自分は
その願いを生きるような在り方を
しているのかどうか。
今の自分の「姿勢」がわかるような
在り方をしていなければなりません。
このことの意味を
深く深く、探求されますように。