普段、あなたはどんな基準で
ものごとを判断しているでしょうか?
ケースバイケースで、
気分とか、詳細な情報を集めてとか、
周りの人を見てなどなどあるでしょう。
いずれにせよ、
最終的にどうするかを決めるのは
自分次第。その基準を持っておくことは、
誰にとっても不可欠なことだと思います。
その基準をどうするのか、
という部分にかかわる話を
スピリチュアルな事象を交えた見地から、
今日はして行きたいと思います。
これまで
自分の中に様々な存在が入り込んでいて、
私たちは多大な影響を受けて
日常生活を生きている、
というお話を何度もしてきました。
セッションでリーディングをしていると、
その人のエネルギーの上に不自然に被さっている
異質なエネルギーの痕跡を読み取ることが
よくあります。
たとえば、死霊が入り込んでいて
その人の体を通して自分の無念を晴らしたい
とか思っていたりする場合、
本人の志向性や願望、欲求などが
その存在にコントロールされて、
人生の様々な場面での選択や判断に
影響を与えます。
エネルギー的にそういう事例に共通するのは、
本人が、自分自身の真実に繋がれていない
状態になっているということです。
具体的に私がどう感じているかというと、
その人の意識がハートの深いレベルに
触れているかどうか、というところを見ています。
何かが入り込んでいるときは、
ハートにその存在が被さっているので、
(厳密にはハートだけではありませんが)
どうしてもその人が自身の真実に
触れられない状態になっているんですよね。
だから、その判断、意志が
その人自身から来たものではないと
判断できるのです。
でも、本人はほぼ気付きません。
一体化していて、当たり前のように
それは自分の意志だと思っています。
それでもセッションで、
その異質な存在を浮かび上がらせていくと、
本当だ!これ自分じゃない!ということに
気づいてみなさん、びっくりされますね。
で、ここまではこれまでにも
書いてきた話(だったはず)。
今日お話ししたいのは、そういうのとは別に、
何かの存在が入り込んでいるわけではないけれど、
何かのコントロールのエネルギーが
妙に影響しているケースがある、
というお話です。(前置き長かった(^^;)
コントロールと言うからには、
コントロールしようとしている「何か」がいて、
コントロールされる対象である私たち
がいるわけです。
明らかに、そのコントロールのエネルギーは
私たち自身の深いところからは来ていないよね、
っていう、そんな力で「そう思わされている」
ケースがあるな~と見えるのです。
で、どうしてそんなコントロールを
受けてしまうのかというと、
これはここまでの話を踏まえて考えて行けば
当然なのですが、自分自身の真実に
繋がれていないからなんですね。
これを、もっと違う言い方にすると、
頭でっかちで生きていて、
自分が何を感じているかに
ちっとも意識を向けていない人。
気持ち悪かったり良かったり、
好きだったり嫌いだったり、
という基本的なところすら抑圧して
感じないようにして生きている人は、
思い切りコントロールされやすい
部類に入ると思います。
たとえば、
自分の体が欲しているものよりも、
健康にはこれが良いから!という理由で
健康食品を摂って却って体を壊してしまう
ようなタイプです。
自分の中の深いところにちゃんと繋がれていれば、
これは自分には必要ない、摂ってはダメだ
ということは直感的にわかるはずなんですね。
でも、そういう感覚を現代人の多くは
蓋をして、頭で考えたことを自分に
押し付けるのです。
それが当たり前なので、
自分の中の深い叡智が「それは違う」
「これは正しい」とサインを出していても
全くの素通り。蓋をしているので
サインが出ていることすら
気づけなかったりします。
私がこの国の社会に対して強く感じるのは、
ものすごく多くの人たちが
自分自身の叡智に従うことよりも、
何者かによってコントロールされた
意図的な情報に従うことに
違和感を持っていない、ということです。
心の中に、叡智との分厚い断絶があるんですね。
だから自分を信じられない。
深いところからの情熱や力強さが
湧いてこないのです。
この国の人たちがまるで無意識の羊の群れのように
感じてしまうのは、自身の叡智と切り離された
人間特有の、鈍くぼんやりとした
バイブレーション故です。
ここまで見ていくと、
ものすごく根が深い話だな~と思うのですが、
多くの人がこんな状態になっている
ということを考えると、
逆に言えば、一度にこれをひっくり返すような、
つまりは、みんなが自身の叡智を取り戻すような
方法が何かあるだずだ、とも思えるんですね。
つまりそれは、恐らく
「自分自身への不信のプログラムの解除」
なのだろうと思います。
これがどうかかっているのか、
何だかとても複雑そうですが、
今後、辿ってみたいと思っています。