近況を少し。
母の葬儀が終わって
諸々の手続きラッシュが一息。
ボチボチ銀行やら保険やら
商売上の組合などからの書類が届き、
必要書類をそろえて返信の日々。
その他、急ぎでない遺品の整理を
体調や仕事の状態を見ながら
ゆっくりゆっくりやってます。
ただの断捨離と違って、
これが結構精神的にきますね。
こんなもの、まだ取ってあったんだ、
というような、ある日の思い出の
ゆかりの品とか、
整理もされず、ごちゃまぜに
籠に入れられた書類の束とか、
その時その時の母の心情や
意識状態が表された
その痕跡に触れるのが、
思う以上にダメージがあって、
ちょっとやっただけなのに
どっと疲れが出ます。
まだそこそこ体も動けて、
精神的にも健康な自分がやっても
これだけどっとくるのだから、
生前の母にはとても無理だった
だろうな、と思います。
なかなか物を捨てさせてくれない
母だったけれど、そういう物に
支えられている部分も
大きかったのでしょう。
人それぞれの生き様、在り方があるので
思うところは色々あるものの、
それが母だったのだと思います。
自分の時は、シンプルでいよう
と思いますけれどね。
先日は、塗りのお位牌を作りに
浅草近くの仏具屋が集まった町として
有名な田原町に行ってきました。
ちょうど上の弟も都合が合ったので、
一緒に行ってもらったのですが、
相談しながら決められたので、
良かったと思います。
家にある祖父母と、父の位牌、
母の白木のお位牌を念のため
持って行ったのですが、
大きさや並べて置いた時のデザイン、
細かな書体の確認などできて、
正解でした。
お位牌の仕上がりは2週間ほど
かかるようです。
ネットだと、即日発送を謳っている
業者もあるようで、今は便利な
世の中になりました。
それから、浅草近辺にある
母の実家と父方の親戚、お世話になった
近所の方のお墓をついでに、と言っては
何ですが、せっかくなので回ってきました。
いつも母と回っていたコースですが、
親戚のお墓は、弟は知らないので
一応教えておきました。
まぁ、もうお世話になった大叔母も
他界して付き合いもないので、
私がいなくなったら、お参りは
しなくなると思いますが。
面倒臭がるかな、と思った弟は、
割と素直についてきてくれたので
助かってます。
彼自身も、
一度経験しておいた方が良いし、
知っておいた方が良い、という思いが
あったのでしょうね。
人生でそう何度もあること
ではないですし。
次に兄弟の中で位牌を作りに来るのは
誰かな、と思いながら、デザイン、
表記など確認していきました。
私は父と母で2回経験したから、
もういいかな。あとは弟たちよ、
よろしく頼む、とか心の中で
思ってましたけど。
ひょっとしたら、二十数年前に
父の位牌を作りに来た時、母も
そんな風に思ってたかもしれませんね。
人生の後半戦に突入して
母を看取って思うことは、
自分の最期を逆算して今を生きること。
なんだかんだ言って、
母は自分の思うように生き、
思うような最期を遂げたと思うので、
さて自分はいかに。
と思うわけであります。
母と機をほぼ同じくして
経済評論家の森永卓郎さんも亡くなり、
フルストッロルで駆け抜けた
その生き様も、あっぱれと思います。
魂の記憶的には、
末期を経験するのは初めてじゃないし、
何度も人生をやっているわけだから、
今度はどういう風にしようかな、
なんて感じです。
今だからできることをやり尽くして
卒業できるように。
よく逝くためにはよく生きること。
生きることの恐れを越えて、
命を燃焼させていこうと思います。