延命措置のこと他

ブログ更新できないかも、
と言いつつ、何かこの日のことを
書き残しておきたくて、
ついブログを開けてしまいました。

みなさんのたくさんの温かなお言葉に、
一つ一つにご返信はできませんが、
本当に感謝しております。

この場を借りまして、
心より御礼申し上げます。(-人-)

何から書いていこうか、
書きながら心を整理している
ところもあるのですが、

当日のこと、書いてみようと思います。

ひょっとしたら、高齢のご家族と
お住まいの方には、何か注意喚起になる
ところもあろうかと思いますので、
参考にしていただければと思います。

ただし、結構生々しい話になるので、
苦手な方はスルーなさってください。

先週末の土曜日は、町会の新年会で、
2次会まで参加して母にしては
遅くに帰ってきました。

どうやらそこで悪い風邪をもらってしまった
ようで、日曜、祝月と何となく調子が
悪そうではありました。

それが火曜日午後になって、
酷く咳をしていました。

正月からこんな変な体調になってしまって、
とこぼしていたのを覚えています。

夕方になるとすごく気持ち悪そうで、
吐き戻したりしていたので、
もう店を開けているのは無理だから、
閉めよう、と言って、私も手伝って
店を閉めました。

その日、私は瞑想会だったので、
母の夜の食事のためにおかゆでも
焚いておこうか?と聞いたのですが、
食べれなかったらしく、いい、と
断って1階の休憩室で休んでいました。

気になりつつも、18時ごろに私は
サロンに入って準備をし、瞑想会を進め、
20時ごろの休憩時間にいったん
母の居る1階に様子を見に行きました。

その時もまだ同じ場所で寝ていて、
大丈夫?と声をかけると、
うん、と短く返事をしました。

それが母との最期の会話でした。

それからまた瞑想会後半に戻り、
22時半ごろ、瞑想会も終わって
3階自宅の玄関を見ると
カギが開いていたので、母が上に
上がってきたんだとわかりました。

お風呂を見ると、電気がついて
ぽちゃん、と音がしていたので
大丈夫かな、と思ったのですが、私は
そのまま後片付けなど続けていました。

しばらくして、いつもは烏の行水の母が
いやに長いな、と思い、扉を叩いて
声を掛けたら返信がなく、

すぐに扉を開いたら、
既に鼻の上までお湯に浸かった状態で
意識も呼吸もありませんでした。

慌てて母を引き起こそうとしり、
水を吐かせようとしたのですが、
一人では重くて水の中なので体勢も取れず、
どうにもなりませんでした。

混乱しつつもどうにか救急に連絡をし、
電話の指示でまずお湯を抜きました。

これ、思い至らなかったのですが、
大事なことですね。
ぜひ皆さんも覚えておいてください。

後は救急隊が到着して
様々な蘇生措置をしていただいている間、
保険証やお薬手帳など準備しておいて
ください、と言われました。

この状況でそれを言われても、
普段母がどこに何を置いているのか、
一緒に住んでいてもよく知らなかったので、
すごく慌てました。

無くても後からでも大丈夫ですと
言われましたが、同居のご家族は
知っておかれた方が良いですね。

そして、私は母を救出しようとして
全身びしょぬれでしたので、
パニックになりつつ着替えをして、
財布に多めの現金を準備しました。

母と家を出るときは、
サンダルではなく、ちゃんと靴を履いてね。

行きは救急車ですが、帰りは自分で
帰らねばなりませんから。
ここは救急隊の方は注意してくれませんので
覚えておいてください。

救急車に乗る頃には連絡していた
近所に住む弟も駆けつけてくれ、
一緒に救急車に乗れました。

病院で処置をしていただいている間、
受付でずっと待機していて、
しばらくして先生から状況の説明を
受けました。

処置により、何度か心拍も戻ってきた
のですが、強い薬と心肺蘇生を
止めてしまうと、また落ちてしまい、
自発的な動きが戻ってこないため、
難しいでしょう、とのことでした。

いつまで救命措置をしましょうか、
ということなのですが、少し前に
本当にタイムリーである動画を見ていて、

一旦延命措置をしてしまうと、
以後はそれ、外せないみたいなんですね。

一時の未練で、延命措置を選択してしまうと、
後がなかなか大変かもしれません。

この辺りも、普段からご家族で
話し合っておかれると良いと思います。

延命措置はしないでくれと、
常々言っていた母ですから、
私も弟も、もう結構です、とお伝えし、
機械を止めました。

すぐに心拍がパタッと止まるわけでもなく、
ゆっくりと心臓が動きを止めていく間、
結構時間があったのですが、

病院のご厚意で、そこで長いこと
看取りをさせていただけました。

これまで伝えてこなかった
たくさんの感謝を、私も、弟も、
そして遠方にいる下の弟も電話でつないで
伝えることができました。

やがて、心拍の数値が0になり、
日付が変わって翌15日0時39分、
死亡宣告を受けました。

本当に、母が望む形で
逝けたのではないかと思います。

つづく

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