いつもいつも我慢していて、
あまりにも我慢している期間が長すぎて、
いつしかそれが普通になってしまい、
自分が我慢していることすら
気づかなくなっている。
そんなことって、ないでしょうか。
あるいは、自分で気づかないように
敢えてしている、ということなのかも
しれませんね。
気づいていて我慢し続けないといけないなんて
辛すぎますから。
けれど、そうやって意識の外にはじき出された
我慢のカケラ君たちは、それで消えてしまった
わけではありません。
認識の外で、際限なく圧縮されて、
ますます苦しみながら、
ずっとそこにいるんですよね。
感じないし気づかないから
もう終わって解決した
わけではないんですね。
こんなに苦しい思いを我慢し続けていると、
それはどこかで心や体を蝕んでいきますし、
毎瞬、膨大なエネルギーを使って
抑圧し続けているので、
特にこれと言ったことをしていなくても
いつも疲れているとか何かをする気力がない、
生き生きしていないといった状態になります。
そして、我慢しない人に対して、
イライラしたり、攻撃的になって批判したり
という気持ちを抱いてしまいがちになります。
自分はこんなに苦しい思いをしながら
我慢しているのに、
どうしてあなたは我慢しないの?
そんなの許せない!
みたいな思いが噴き出てくるんですね。
まぁ、すべての人がこういう思いを抱く
わけではありませんが、憧れつつも、
どうも心を開けなくて、何だかなぁ、、、
というパターンもあります。
いずれにせよ、
我慢しない人を見てもやもやした気持ちが
湧いてくるのなら、自分の心の深~いところと
よく対話してみると良いと思います。
本当はあなたも、
そんな風に振舞いたいのかもしれません。
いやいや、あんな態度は取れないわ~
って思うかもしれませんが、
外側に見せられる人物の態度というのは、
あなたの中の要素や欲求をかなりデフォルメ
した姿で見せてくれることが多いのです。
拒絶する思いが強いほどに、
あなたのその要素は強く抑圧されている
と言えるでしょう。
絶対拒否、だから絶対に出てこないように
封印しているわけです。
そして、拒絶したものは、
受容されるまで繰り返し差し戻されてくる
という法則の通りに、
あなたの周辺には、そういう要素を
嫌でも見せつけてくる人たちが
繰り返し現れるでしょう。
あなたが本当に、受容するまで。
我慢して我慢して押さえつけている
ということは、毎瞬莫大なエネルギーを
ただ押さえつけるためだけに
浪費し続けているわけですし、
一瞬でも気を抜けば、
超高圧に圧縮されたそのエネルギーが
一気に噴き出してきてしまうのです。
これを、永遠に続けるのか、
どこかでケリをつけるのか、
自分で決めなければいけません。
我慢している、と被害者意識たっぷりに
ひがみっぽくなるのではなく、
それを自分に強いているのは
紛れもなく自分自身である、
ということに気づき、認めましょう。
嫌ならあなた自身で、
変えればいいのです。
変えるための行動を起こし、
努力をしたくないから、
色々言い訳して動かなくても良い状態に
しがみついているのでしょう。
決して心地よくはない地獄だけれど、
未知の天国に行くよりはマシという
選択をしているわけですね。
それが良いとか悪いとかではなく、
そういう選択も、アリだと思います。
けれど、その結果を引き受けないで
不平不満を言うのはお門違い
というものです。
いかにそれが完全に満足いくもの
でなかったとしても、
自分の選択に自分でケチをつけるというのは、
自身の力を削いで無力になっていくコースへ
まっしぐらです。
結果を肚で引き受けて、
前を向いて歩み続けましょう。
人生の主導権を、容易く放り投げないように。
自分の選択の結果を自分で引き受けることで、
自身の内から、底力というものが
湧いてくるんですね。
結果から逃げている内は、
こういう力強さは決して宿りません。
我慢を「させられている」と思うのなら、
あなたは被害者になり、力を失っています。
自ら望んで耐えている。
そしてそのことの意義を理解し、
受け止めているのなら、
あなたは自身の人生の主体者であり、
力はあなたの内に在ります。
とはいえ、辛い時もありますよね。
心が弱くなってしまうこともあるでしょう。
打ちひしがれ、自身の無力さを
骨身に染みて味わっているときすら、
その言いようのない苦しみに
自分を開いて受け止めるなら、
あなたはそれを昇華させることができます。
あなたという存在自体が、
そういう錬金術の魔法の壺なのです。
だから、被害者の不毛な我慢を
いつまでも自身に強いることはありません。
結果を引き受ける準備ができたのなら、
一歩踏み出してみてはいかが?