人間、生きていれば色々ありますが、
そこには様々な人生からのメッセージが
あったりします。
一見ネガティブに思える出来事を
どう解釈したらいいのか、
ケースバイケースで色々あると
思いますが、いくつか
例を挙げてみると、
1,今の自分の在り方が
間違っているので、
方向転換を促すお知らせ
2,自身の決意が本物なのか、
覚悟を試すようなお試し
3,自分が気付いていないこと、
見過ごしていることに
気付きを促すお知らせ
4,逃げ道を塞いで、強制的に
ある方向への行動や気付きを
促すための導き
などがあると思います。
出来事は厳密にこのように
分けられるものでもなく、
いくつかの要素が重なっている
ものもありますので、参考まで
ではありますが、
多くの方が迷われることの一つに、
たとえば仕事が辛いので辞めたい
などと思うのは、甘えではないか、
と思ってしまい、
心も体もとうに限界なのに
頑張ってしまう、という方がおられます。
私自身も、前の仕事を
辞めることになったときは、
本当に自分でも区別がつかず、
心身ボロボロになってしまいました。
こういう時は、
心身に深刻な不調が出た段階で、
既にその方向にそのまま進むのは
危ない、というサインだと思います。
多少のところであれば、
少し調整してみて様子を見るのも
一法かと思いますが、
頭で考えるとぐるぐるしてしまうので、
基本はやはり、ハートに聞くことですね。
誠意をもって向き合い、
出来ることをやり尽くして
無理なのであれば、
それが潮時です。
その前に、本当はハートの声が
わかっているのではないでしょうか。
ハートの声を聞かない頑張り屋さんほど
悲鳴を上げている心身をさらに叱咤して
頑張ってしまいがちですが、
頑張るのはもう、
その方向ではないんですね。
でも、それにしがみついてしまうのは、
その状態から離れることへの恐れが
多かれ少なかれあることでしょう。
それがあると、どうしても
自分からはそこから離れることが
できません。
自分を冷静に見ることができず、
あらゆる気付きや方向転換のきっかけも
頑なにスルーして、突っ走ってしまう
でしょう。
本当は、立ち止まって、
自身の在り方を見直し、
最も逃げていることに答えを出すなど、
決断しなければいけないことが
あるはずだと思います。
けれども多分、そういう人は、
そういう方向への覚悟は決められずに、
口先だけで、あらぬ方向への願望を
ふわふわと唱えるだけで、本当には
行動しようとしません。
そうなると、人生は強制的に
その人が逃避し続けているそれに対して、
逃げ道をどんどん塞いでいきます。
そうして我慢の限界を
越えるようなことが起こって、
もうどうにもその道を行くことが
不可能になるのです。
その時ようやく、その人は
方向転換せざるを得なくなるわけですね。
かつての私がそうだったのですが、
もっと私が柔軟で、聞く耳を持ち、
自身の在り様を振り返る視野を持てていたら、
そこまでにはならなかったでしょう。
でも、当時の私には、
人生に誠実であるよりも、
優先したかったことがあったが故に、
強制執行しか道がなかったのです。
このような場合、上記の1から4までが
順不同ですが、段階的に起こっていきました。
今、苦しくて仕方がない人は、
自分が最も逃げていることに
向き直ってください。
そこには、最もしたくなかった決断が
あるかもしれません。
けれど、よく見てみれば、
今の状態を続けることで、
どれだけの歪みを周囲にも自分にも
生んでいるか、考えてみることです。
誰かのために頑張っていると言いつつ、
その頑張りは、本当にその人のために
なっているでしょうか。
本当は、その人に嫌われたくなくて、
その人を失いたくなくて、
しがみついているだけでは?
愛とは、優しく甘いものばかり
ではありません。
深い覚悟ゆえの
厳しい愛もあるのです。
頑張るところ、覚悟すべき時を
間違えないように。