様々な方の意識を
リーディングしていると、
その在り方が自然に感じるときと、
どことなく不自然さを感じるときが
あります。
セッションでは、この不自然さが
ものすごく重要なカギで、
その不自然さを解き明かしていく
ことが、調和を取り戻していく
道筋を教えてくれます。
たとえば、
あることについて堀り進めていて、
意識の質感で、本当に何もないときと、
何もないように感じるけれど、
何か違和感を感じるときがあります。
前者の場合は、
何もない、というのがすっと奥まで
通る質感でスキャンできるけれど、
後者の場合の何もないように感じる
というのは、感じる感覚が塞がれる
というか、感覚自体が鈍くなる感じで
読み取れないがゆえに、何もない、
何も感じないという違いがあります。
本当に何もないなら、
隠し事はないわけなので、
そんな風になる必要はないはず、
ということは、その感覚がするときは、
必ずそこに何かある、ということに
なります。
その何か靄っとしたヴェールのような
質感の奥に意識を凝らして、その奥が
ダイレクトに読み取れるときも
あるけれど、
大抵は、様々なアプローチを通して
そのヴェールを剥がしていく
作業をします。
ワークで、おそらく多くの人が
苦手とする掘り下げですが、
何をどう、どの方向に進めたら良いのかが
全く分からないから戸惑うのだと思います。
やみくもに眺めているとか
考えてみればいいというのではなく、
方向感覚や目的意識をもって
読み解く、と言うのは大事だと思います。
そして、嗅覚というのも
実は結構重要な要素です。
私の場合は、リーディングによるところも
大きいのですが、質問に対する受け答えから
自分が何を感じるか、というところも
インスピレーションの源になっています。
この質問に対してこんな風に返してくるんだ、
というその微妙な癖のパターンとか、
特徴的な言葉の使い方から、
その人が見ている世界の片鱗を
読み取っていきます。
たくさんの質問と応答のやり取りの中で、
どんな角度からポールを打ち込んでも、
ある部分の角度に対する応答が弱いとか
抜け落ちているということがあれば、
そこに何らかの傷があるとか、
庇っているが故に、その部分の心の動きに
制限がかかっているようだとか、
色々読み取れてくるんですね。
たとえば、
何度その時の気持ちを問いかけても、
感情表現が一切出てこないとなれば、
その人は感情を感じるよりも
考えてマインドで処理していることが
多いのだろうと読み取れますし、
相手に対するネガティブな感情が
当然起こっているだろう場面で、
自身の気持ちの表現が出て来ず、
周囲の状況などの話ばかりが出てくる
となれば、
無意識的にもその人は相手への感情を
見ないようにしていて、触れないよう
意識をそらしているといった具合に
読み取れます。
こういう癖や意識の視野の欠損などは、
なかなか自分では気づけないところ
だろうと思います。
その人はそれを前提に人生を生きているので、
多少生きづらさはあるかもしれませんが、
多くの場合、それが不自然だとか
思わないですからね。
無くて七癖、とはよく言ったものです。
こういう読み取り方は、
私は実践の中で直感的に培ったものですが、
ものごとに相対した時に、
自分が何を感じているか、ということに
敏感に気付くことをやってきた中で
育ってきた感覚だと思います。
ちょっとした違和感が、
後にすごく大きなアクシデントや事故の
前触れを捉えたものだったということは
よくある話。
直観力を磨くには、
そういうものなんだ、と言う思い込みで
まるっと収める事なかれ思考の
外の感覚を大事にすることです。