ものごとは、どんな視点から、
どこをどう切り取って見るかで
全然受け取る意味合いが
違ってきますよね。
同じものを体験しても、
ある人はそれを地獄の沙汰のように
人生最悪の出来事として捉える
かもしれないし、
別のある人は、長い間求め続けてきた
神の天啓と取るかもしれません。
また、受け取る側の感性や力量が
すごく問われる場面も
人生にはしばしばあって、
ちょっとしたものの見方、受け取り方で
その人に内在する知識や教養、哲学、
積み重ねてきた鍛錬の深さを知って、
舌を巻くことがあったり、
反対に、それだけの人を前に、
全くその器の厚みを汲み取れず、
ボ~っと無為にやり過ごすのみだったり。
他者の凄さ、偉大さを凄いと認識できる
力がないというのは、なんとも
情けないことでありましょう。
昨今では、見た目に派手で
わかりやすい成果を上げている人が
凄いのだともてはやされる時代ですが、
何と野暮で、浅薄な感性かと
思えてしまうのは、
私だけでしょうか。
かく言う私自身、それほど大した
目を持っているとは言い難いのですが。。。
見る目がないというのは
人間としての浅さを露呈することで、
命のやり取りをするような
時代や地域によっては、
それは命取りになるようなこと
でもありました。
歴史ものでも、多くの人が
夢やロマンを抱く人気の戦国時代などは、
そういう意味で、見る目、人間力が磨かれ、
魅力的な武将が綺羅星のごとく、
活躍した時代だったのでしょう。
今の時代、寝ぼけ眼でボケボケ生きていても
それなりに過ごせてしまう時代ですが
(気が付いたら茹でカエルになっている
危険性も大いにアリ)、
そういう時代だからこそ、
本物を見る目を深く深く養いたい
ものだと、強く思うのでありました。
そうしたときに、
では一体何から始めたら良いのだろう?
ということですが、
周りに一流の人、モノがあるのなら
それに越したことはありません。
けれど、そういう恵まれた環境にいる人は
そう多くはないでしょう。
私がお勧めするのは、
長く続いている伝統・文化のエッセンスに
触れることです。
色々あると思いますが、
それらのエッセンスの風味を何となく
つけた即席のモノではなく、
出来る限り、本流の、真に精髄を
受け継いだ人やモノに触れるのが
良いと思います。
博物館や美術館に足を運ぶのも良いし、
職人さんやその道のプロの人に
話を聞きに行ったり教えを請うたり
するのも良いと思います。
できれば、興味の持てる分野があったら、
実際に学んでやってみるのが良いでしょう。
そうしたら、
一見して凄いと思ったものなら、
何がどう凄いのか、さらに
わかるようになるでしょう。
ただ傍から見ていたら、
わからないことはたくさんありますからね。
なぜ、なぜ伝統や文化に触れるのが
良いのかと言うと、長く続いてきたものには
それなりのものが蓄積され、練られて
きているからです。
幸い、日本という国には
他に類をみないほど、重要なエッセンスが
そこかしこに保存されています。
私たちのこの足元に、
一体どれほどの宝が眠っていて、
それを受け取る者を待っているでしょう。
幸いなことに、今の時代、
ネット環境があればオンラインでも
様々な学びができるので、
入り口としては良いでしょう。
できれば、実際に足を運んで
モノに触れ、その人の息遣い、所作、
空気感に触れられれば、数段、
得るものは深くなります。
自分がどんな意識でそれを求め、
出会いに行くかで、見方、吸収の仕方も
違ってきます。
何かしら、本物のエッセンスを受け取ろうと
目や耳を凝らすならば、物見遊山で
気楽なイベントとして参加するのとは
違った学びがあるのは道理です。
それに相対する自分の姿勢をまず正して
臨むことが、エッセンスを引き出す
条件です。
そういうところから、
真剣勝負の駆け引きが始まる、
と私は感じています。
この者に、どこまで伝えてやろうか、
適当にあしらって帰すか、と。
真剣勝負の世界で生きている人は、
必ずしもサービス精神旺盛ではありません。
たくさんの宝物の詰まった引き出しを
開けさせるのは、求め訪ねて行った
自分自身だということを
忘れぬように。