ここのところ、積年の厚い殻を破って
魂の本当の願いの方に舵を切っていく
タイミングに来ている人が多いな、
という印象です。
長い魂の旅路の中で、
傷つき、打ちひしがれ、
もうこりごりだ!と閉ざしたことに、
再び対峙する流れが来ているんですね。
警戒心一杯にずっと拒絶し、
そんなものはあり得ない!
とはなから無いことを前提に
人生を生きてきたけれど、魂は
その状態のままいくことは、
願ってはいないようです。
拒絶の原因となった出来事に
向き合い、癒され、自分の本当の願いに
心底、求めていたものはこれだった!
と戻って行かれる方もあるし、
まだピンと来なくて、
けれども、どこかこれまでとは違う
選択をすることに、深いレベルで
喜びを感じつつ、完全に舵を切る前の
段階の模索をしている方もあります。
あるいは、まだまだ厚い蓋を前に、
自分自身では奥深くに胎動する
命の願いのエネルギーを
掴みきれていない人も
あるかもしれません。
色々な段階の方があるけれど、
それでも、総じて見ると、
魂たちはやはり、愛と信頼の人生を
送ることを強く求めている流れにある
ということをひしひし感じます。
ずっとずっと願ってきたけれど、
叶わなかった悲しみや痛みを抱えている
がゆえに、簡単には求められない
事情もあるけれど、
その痛みの中にも、その人にとって
見るべきものがあるはずなんですよね。
そこそこの平穏ももちろん大事だけれど、
平穏だからこそ、取り組めるものも
あるわけです。
願わくば、
痛みを伴うトラウマを越えて、
本当の願いを叶える人生となりますように、
と、みなさんの歩みを拝見して、
祈らずにはいられません。
そして、みなさんのその歩みは、
翻って見れば、私自身にもまた、
同じものがあるのを感じてます。
自分を偽るのを止めて、
本当に欲しいものを求めるように、
私自身も、さらに深く、
真実の声に耳を傾けていきます。
ずっと塞ぎ続けてきたものに
心を向けるのは、いつもとは違った
感覚の使い方が必要ですね。
無いことにするのを止める、
諦めるのを止める、
叶わないことに言い訳をするのを止める、
尤もらしい言葉で納得させるのを止める、
など、まずは止めることを先に。
ただシンプルに、
本当に自分が求めていることを認める。
浮上するネガティブな感覚があれば、
在るがままに受け止める。
とまぁ、ここまでやってみると、
案外、今は抵抗感もなく、
すんなり願うことが出来るな、
という感触でした。
自分の本当の願いに向き合ってみて
わかるのは、それを受け入れていない時の
自分がいかに歪んでいるかということです。
他の部分は誠実で在ろうとしても、
その一点ゆえに、どこか
歪んでいるのですよね。
そこを軌道修正すると、
体の中のエネルギーの通り方が
瞬時に変わるのがわかりました。
すっきりと、クリアになるんですね。
改めて、諦める、蓋をするというのは
本来の在り方ではないのだな、
というのを感じました。
人生、生きていれば叶わぬ夢というのも
ごまんとあるわけですが、現実を直視
しないでいつまでも夢物語を追うのが良い
と言っているわけではありません。
求めていたものが叶わなかった時に、
やれるだけのことはやった、と
満足して完了させることができたり、
それは自分の道ではないと
悟ったりして、求めることを
止めるのは、私の言う「諦める」の定義
には当てはまりません。
そうではなく、思いもあり、
本当は納得できていないのに、
あるいは、やり切っていないのに
理屈などで蓋をして無理やり収めるのを
諦めと言っています。
その場合は、完了できていないエネルギーが
残るわけで、これが色々障りになる
わけですね。
だから、本当に納得して
卒業できたから方向転換したのか、
蓋をして諦めたのか、というのは
全く違ったことなのです。
後者の場合は、どこかでちゃんと
未完了のエネルギーを完了させる
必要があるように思います。
そういう意味で、
本当に求めていたことに改めて
対峙する、というのは大事なこと
だと思うのです。