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さて。
人間、生きていればケガもするし
病気にもかかります。
軽傷で済むときもあれば、
命にかかわる病気のときもあるでしょうが、
いずれにせよ、そうした体に起こる
諸々も、魂からの奥深いサイン
だったりもします。
自分の置かれた状況、
その不快な体感覚によって
浮上するものを見ていくことで、
ものすごく奥深いメッセージを
受け取ることがあり、
それを知ることで、
それまで失っていたことすら
自覚のなかった自分自身の一部を
取り戻す機会を得たりします。
ケガや病気はネガティブに捉えられる
ことが多いけれど、必ずしも
不運と決まったものではなく、
そこから何を見出すか、という
自分の姿勢次第なのだと思います。
セッションでもしばしば
そういう掘り下げをすることがありますが、
たとえば、
魂に眠る別の人生の記憶で、
疫病にかかって亡くなった方は、
流行病で次々に村人が亡くなり、
家族が亡くなり、自分の体も
刻一刻と弱っていくその感覚に、
深い恐怖と悲しみと絶望感を抱いて
いました。
それらの感情や感覚が、
似たような情景を思い起こさせる
場面をきっかけに浮上して、
現実の状況に見合わないほどの
強い恐怖や絶望感などを
浮上させているんですね。
他にも、
火炙りで処刑された人は、
火で焼けただれていく皮膚の感覚など
とともに、信頼していた人に
裏切られた怒りと悲しみを
記憶していて、
火傷をしたときになぜか
いつも感じる重苦しい感情が、
そのストーリーから来ていることに
気付いたり、と、
ケガや病気をしたときに感じる
気分や感情が、実は必ずしも
現状にそぐわないほどの
動揺だったりするのは
魂の奥底に封印された感情のチャージが
トリガーされたから、ということも
あるわけです。
体の具合が思わしくないのは
確かに不快なものですが、
この程度のことで、こんなにも
絶望的で憂鬱になるのはおかしくないか?
と、ちょっと疑ってみると、
何か気づくことがあるかもしれません。
気持ちが重たいと、
現状は必要以上に深刻で絶望的に
見えるものですが、
落ち着いてみたら、
案外そう悪くもなかった、
ということもあります。
その人にとっての出来事の意味や
認識は、事実に気持ちが被さって
捉えられたものなので、
気持ちが重く激しく揺れ動いていたら、
出来事は在るがままの事実よりも
当然、重く深刻なものとして
認識されるでしょう。
ということは、
揺れ動く気持ちが静まれば、
出来事は正味の在るがままの事実
に近い形で認識されます。
こちらの方が、
ずっと建設的にものごとに
対処できるのではないでしょうか。
よく、気持ちで負けてしまっている
と言われることがありますが、
本当に実力を発揮する前に、
負の気持ちに飲み込まれて、
生きる気力、取り組む気力を
最初から奪われている状態を言います。
気持ちは、実際の状況よりも、
ものごとを動かす大きな要因に
なり得るのは、そういうことなのです。
ケガや体の不調に大きく動揺する方は
多いですが、本当のところ、
その動揺は何に対しての心の揺らぎで、
どこから来ているのか、
良く良く掘り下げてみましょう。
思うようにならない体に、
無力感や無価値感を感じたり、
自分のコントロールを外れて、
どうなってしまうかわからない感覚に
恐怖を感じたりする方も多くあります。
一目散に逃げだしたい身体に
しっかりと踏みとどまって、
身体を見捨てず、体が心細い思いを
しないように、抱きしめていて
あげてください。
肉体を嫌悪し、憎んでさえいる方も
ありますが、そのような思いとともに
呪いをかけてしまっているケースも
あります。
呪いを解いて、労い、慈しみ、
祝福してあげてください。
自分の肉体と和解するように。
そうしていくことで、
状況がどうであれ、あなたの心は
穏やかに満たされ、この人生の時間を
有意義に過ごしていくことが
できるでしょう。
この肉体を離れる最期のその瞬間まで、
肉体を通して体験されるすべてに
祝福を。