先日書いた、できるようになりたいこと
について、早速取り組み始めたら、
色々と気づきが一気に来たので、
自分なりの備忘録として書き留めて
おくことにします。
まずは、今ある能力をより繊細に使って
これまでできないと思っていたことを
できるようにしてみるということから
始めたのですが、
目的と意図を持ってやってみると、
案外これはすぐにできるように
なることがわかりました。
新たに開いた意識の領域で、
さらにその先の意図を達成できるのか
と思って進めてみると、ごく自然に、
それまでやったことのない方法で、
そこそこ達成できたようです。
ここまではすごく順調で、
初歩的なところは
サクサクと目途が立って行きました。
そこで、今度はもう少し難易度の高いケース
について、取り組んでみることにしました。
不用意に触るとヤバそうなエネルギーに
無理のない範囲でじ~っと意識を向けて
取り組んでみたのですが、
詳しくは書けないものの、
そのプロセスで、とてもたくさんのことが
わかってきました。
以前から、
ある現象がどうして出現するのか、
とても不思議に思っていたことが、
ある文脈で解釈し、読んでいくと
多分それはこうなんだろうな、と
するすると読み解けるのです。
であるならば、
それに対する対策もおのずと
分かってくるわけで、色々な謎が
一気に解けていきました。
ただ、その要素だけですべてが
読み解けるのかはまだ検証が必要ですが、
理解した原理を基に
さらに探求して行けそうです。
ひとしきりそんな理解があって、
まずは手近なところで実践してみたところ、
この原理は実に広い領域で使えることが
わかりました。
自分なりに、あちらこちらで
実践しながら、これを使って私は
この世界で色々貢献できそうだ、
と思いました。
そう思うのと同時に、
この世界での自分の在り様、生き方の方向性
みたいなもののインスピレーションが
瞬時にやってきて、あぁそうか、
と思いました。
これまで、私は常にどこかで
自分が安全安心に暮らしていけることを
求めて生きてきたのですが、
やって来たインスピレーションは、
それとは全く違った観点からの
在り様でした。
この自分を生かすのは、
安心安全なところでではなく、
どちらかというと、不調和で荒れたような
領域でこそ、私の存在意義がある
ということでした。
なるほど、だから私はこれまでも
ひたすら人の心の暗い領域に導かれ、
それに耐えうる自分を磨き上げるような
歩みを辿って来たのか、と
すごく腑に落ちました。
明るくキラキラしたところで
価値を発揮する存在もある一方で、
暗い領域でこそ真価を発揮できる
存在もあるわけで、
それぞれの資質に従って、
己の分限を果たすのが充実した人生に
繋がっていきます。
別に、砂漠に生えるサボテンは、
水辺に生える水芭蕉を羨んだりは
しないですからね。
そんなこんなで、
己が咲くべきところ、在るべき姿
というのがわかって改めてこの人生を
自分を越えた大きな宇宙から
眺めてみたとき、
自分の人生を
安全安心に生き抜くことへの
執着や恐れがなくなっていました。
そういう執着を握りしめた
生き方をしている限り、
私は本来の自分を生きることが
できないのですね。
自分の人生の意義と言うか、
捉え方が全く変わってしまった
瞬間でした。
と同時に、自身の存在の底流を流れる
人生を導く大きな力の感覚が、
以前よりはっきりと、強く感じられるように
なりました。
自分の本分を果たす力は、
ここからやって来るわけです。
自分自身を生きることにコミットメント
するほどに力が湧いてきて、同時に
自分を越えた大きなものの
一部になって行く。
今まで出会ってきたものすごく
パワフルな聖者のあの力は
一体どこから来るのかと
不思議だったのですが、
なるほど、そういうこと
だったのかとようやく合点がいきました。
さらに探求を続けます。