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さて。
去年から何度目かの断捨離を進めていて、
不用品認定した様々な物を捨てたり
リサイクルショップに持って行ったり
しているのですが、
使わないのだけれど、
色々な思い出が詰まっていて
なかなか捨てられなかった物って
ありますよね。
そういうのにどうにか
気持ちの踏ん切りをつけて
リサイクルショップに持って行くのですが、
当たり前だけれど、
業者はそこに詰まった思いなんかは
全く考慮することもなく、
純粋に、今そのものの価値はいかほどか、
というので査定します。
その値段に、結構がっかりすることが
あったんですね。
こちらとしても、自分で捨てても
いいのだけれど、まだ使えるし、
折角なら誰かに使っていただけたら
嬉しいな、という程度の気持ちで
持って行くので、
まぁ、手間と費用をかけずに物を処分
出来るのは助かるものの、何だかな~って
思ってしまったんですね。
そんなことを通して思ったのは、
思いや価値というのは物そのものにではなく、
自分自身の心の中にあるのだ
ということでした。
当たり前と言えば当り前なのだけれど、
改めて、しみじみ感じたわけです。
ちなみに、よく物に込められた思いが
人の心を温かくさせたり、
アンティーク物で前の持ち主の思いが
色々障りを起こす、という話もありますが、
それはそのものに込められた
残留思念のなせる業で、
いわゆる「心の置忘れ」と考えれば、
やはり思いは物ではなく、
自分の中のものということになります。
同じように、出来事の意味も、
その出来事そのものには無く、
自分の中にあるもので、
だからこそ、人によって
その出来事の意味は異なるのです。
こう考えてみると、
私たちの意識は、世のあらゆるものごとに
意味や価値を与え、パワフルにも無力にもし、
また清らかにしたり穢したり、
自在にできるわけですね。
私たちはよく、苦境に陥ると
誰かや何かにすがりたくなりますし、
パワーアイテムを手に入れたり
パワースポット巡りなどして
力を得ようとしますが、
一番力を持っているのは、
実は自分自身なのかもしれませんね。
自分の生きる世界において、
あなたは何に重きを置いて、
何を軽んじているでしょうか。
また、何に権威を与え、
何に自分を縛る力を与えているでしょう?
ある人にとっては、
人生において逆らうことのできない
絶対的な力を持つと認識しているものも、
別の人にとっては、何の力も無い、
無価値なものであったりします。
そんなものに縛られたくない、
と思いつつも、それに自分を縛らせることを
許しているのは自分です。
自分を縛る力を与えているのは、
まさに自分であることを
明確に知ることです。
そして、
自分を縛らせるそれが辛いのなら、
力を自分に引き戻しましょう。
あなたは自分で、
自分の人生を選べるし、
新たな世界を創造することが
できます。
自分を無力に感じている人は、
あまりにも自分の他に、
力を与えすぎているのかもしれません。
たとえば、
誰かとの思い出にあまりにも縛られ、
身動きが取れずにいるのなら、
物やストーリーといった、
外形的なものよりも、その思いの本質に
意識を向けてみましょう。
物やストーリーは、
ただその本質を思い出す
きっかけに過ぎません。
思いの本質をしっかり受け取り、
味わえたなら、もう物やストーリーに
依存しなくても大丈夫になります。
それは分かちがたく、
いつでも自分の中に息づいていることを
知るからです。
自分で自分を、しっかり支えることが
できるでしょう。