今週末29日(日)は毎月恒例の
満月のオンライン瞑想会を行います。
今回は日曜日なので17時スタートです。
いつものように、
お一人お一人リーディングし、
メッセージをお伝えし、
チャクラやオーラフィールドの
浄化とエネルギー調整を行っていきます。
今年の瞑想会もあと3回。
みなさまとともに、
良き年を迎えられるよう、
ステップを踏んでいきたいと思います。
参加の詳細、お申し込みは
こちらからどうぞ。
さて。
今日は、ワークをしている最中に得た
気付きについて、自分用のメモを
兼ねて書いてみようと思います。
自分の未熟さについてのワークで、
未熟さ故に大失態を犯してしまった
魂の記憶から、どうしてもそれを
赦せない思いがあったのですが、
なぜ失敗してしまったのだろう
と掘り下げていくと、
今でも私の悪い癖なのですが、
疲れが溜まってくると、
肉体的な苦痛から途端に気力が落ちて
意識が朦朧とし、やることが
雑になるという傾向がありました。
今生においては、この傾向は
子供の頃からあったとはいえ、
前職でオーバーワークから
5か月の休職を経て退職に至った
時の経験から、
心身への負荷にとてももろい
ところがあります。
そのせいで、
色々失態を犯してしまう
ことも多々あったのですが、
今までこれは仕方がないものとして
自分なりに注意深くセーブする
という以外にきちんと向き合って
こなかったな、と思います。
そういう自分の資質に対して、
もっとできることはないだろうか、
と心を巡らせてみたときに、
心身の負荷に対して
もっと無理をしてでも
ガチガチに頑張る
という方向性ではなく、
極限まで力みを抜いて、
最小の力で目的を達する
という方向性がふと浮かびました。
心も体もガチガチになるのは
早晩自分が壊れていく結末へ
まっしぐらなのが目に見えていて、
むしろその力みが邪魔だな、
と感じました。
極限まで力みを抜いた自然な状態
であれば、何時間でも、寝ても起きても
普通にいられます。
その状態で、意識だけは
自分が為すべきことに常に触れていれば、
ものごとは自然にそこに収束していく
だろう、と思いました。
意識にも、力みは一切不要で
何時間でもその状態で居ても
苦にならないくらいの在り様が
良いですね。
人間、無理な状態は長続きしませんし、
どう頑張っても、所詮は一時的なもの。
結局、楽にいられて苦にならない状態
というのが、最高のパフォーマンスを出す
カギなんだろうと思います。
力みを抜くというのは、
武術でも芸事でも、あらゆる分野で
よく言われることですが、
願望実現においても、
結構カギなんじゃないかな
と思います。
そう言えば、
武道の精神的な在り様を記した名著
オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」で、
昔の武士は、
今では信じられないくらいの本数の
弓を一日で引いていて、その腕の筋肉は
ガチガチではなく、とても柔らかかった
というような記述があったような
うろ覚えの記憶がありました。
また、様々な達人たちの動画を見ても、
力みなく、隙も無い体と意識の使い方は
真似などできようはずもありませんが、
何かヒントをいただけるような
気がしました。
身体の力みを抜くと、
頭の方までぼんやりしてしまいがち
なのですが、
自分がどこに着地することを
目指しているのか、というのは
大事かもしれません。
昔、ある知人が、
自分の人生なんて、どうせ
どうしようもない人生だ
と思い続けて10年過ごしていたら、
本当にどうしようもない人生に
なっていた、と言っていました。
また、ある別の知人は、
若い頃に見た50代くらいの女優さんが
とても美しくて、自分も年をとっても
あんな風になりたい!と思っていたら、
今その方は、とても健康で
美しく、実年齢よりもはるかに
若くていらっしゃって、
人生の先輩として、私の憧れです。
力まず、楽しく生きて、
最高のパフォーマンスを
目指していこうと思いました。