日々暮らす、何気ない日常。
その中で、ふと、
人が生まれ、成長し、
様々な出会いと別れを繰り返して
喜びや悲しみや怒りや絶望などを
経験しながら、やがて一生を終えていく。
その生きるということの
何とも言えない感慨というか感覚に、
圧倒されるということがありました。
失ってから初めて気づく、
あの日常がかけがえのないものだったのだ、
ということではなくて、
ただ、人が日々生きて人生を紡いでいる
ということ自体が、とてつもなく
大きな何かの中で起こっているような、
人智を越えたものすごく深く圧倒的なものを
感じて、覚えず涙が溢れていました。
この感覚、以前にも何度かあって、
それはレナード・ジェイコブソンの
清里で行われたリトリートのワークで
深いプレゼンスの状態に在った時に
体験したものでした。
私たちはみな、
何度も何度も生まれ変わりながら、
様々な人に出会い、別れ、また出会い、
別れ、旅をしてきたという感覚に、
ただただ魂が涙していたのでした。
これは、何とも言葉では
言い表し難い感覚なのですが、
人知れず、心細さや悲しみ、
孤独を抱えながら歩んできたその旅が、
ただの記憶喪失で迷子の
宙ぶらりんで無意味なあがき
だったのではなく、
もっと深遠で、遠大なる何かの
ベースの上で起こっていた
意味ある何かだったというそのことが
魂に形容しがたい感覚を浮上させるのです。
この出来事よりも少し前、
私はなぜこの家族の下に
生まれてきたのだろう?というのを
知るために、セッションの中でやるように
自分自身に誘導してみたことがありました。
以前から、
私はこの母を選んでこの人の下に
生まれてきたのだという意識が
強くあったのは気づいていましたが、
今回はもう少し詳細に掘り下げてみました。
父には申し訳ないけれど、
母に比べて、私はあまりこの父の下に
生まれてきたという意識は薄く、
では、この母が別の人と結婚していたら、
私は母の下に生まれていただろうか?
と問うてみると、それはNoでした。
ということは、
この家に生まれてくることが
重要だったようです。
遡って言えば、
母がこの家に嫁いでくることと、
私がこの家に生まれてくることは
切り離せない計画だったようです。
これを裏付けるように、母から
聞いていたところによると、
父とのご縁も、周辺の親戚筋からの
紹介で、
当時母が若い頃に親しくしていた人が
この家の親戚筋の人で、その方から
ぜひに、と望まれての結婚でした。
父自体は自分の親戚にも拘らず、
その人とはあまり近しい関係では
なかったそうで、ご縁とは
不思議なものです。
私自身の魂の感覚を辿ってみても、
母が違う家に嫁いでいたら
私は母の下に生まれてくる
「必要はなかった」
という感覚があるので、
何か血統に意味があるのかもしれません。
そう言えば、と思い出すのは、
母がその親戚筋の方の話をするときに、
とても不思議な話がいくつも
あったのですが、非常に霊能力が
強い方だったようです。
今の私の仕事を思えば、
この血統というか、霊統のようなものが
私の人生には、必要だったのかもしれません。
その親戚筋の方の話や、
私の母に対する感覚は以前から
認識していたことだけれど、
血統に対する認識は今回初めて
気づいたことだったので、
さらに掘り下げて行けば、
この人生の意味というのも、
もっと違った角度で
捉えられるかもしれません。
また折を見て、
続きを掘り下げてみたいと思います。