自分さえ我慢すれば、
全て丸く収まるのだから、
と飲み込んで、
言うべきことを言わなかったり、
すべきことをしなかったり
ということ、あなたは
してないでしょうか?
何でもかんでも
思ったことをすぐに口にすればいいとか、
後先や周囲の人のことを考えずに
自己主張をすればいい、ということを
言っているわけではないのですが、
あまりにもそういうことを続けていると、
自分が辛いのはもちろんのこと、
相手に間違ったメッセージを
送ることにもなります。
本当は嫌なのに、にこにこして
いいよ、と言っていたら、
そりゃぁ相手もそれでいいのだ
と思うでしょう。
言わなくても察してほしい、
気づいてほしい、というのも、
ある種、自分自身に対する責任放棄であり
相手に甘えているとも言えるのでは
ないでしょうか。
それから、もう一つ大事なことは、
誰かが我慢をして成り立っている
平穏や調和は、根本的に歪んでいます。
あなたがそうして歪んだ在り方を
選択したことで、あなたに関係する
周囲の人の在り方が歪むのです。
本当は気づきや学びのチャンスだったのに、
あなたが飲み込んだせいで、彼らは
そのチャンスを失うことに
なったかもしれません。
あなたは、自分の態度によって
その場が丸く収まったのを見て、
ホッとしたり、関わる人たちに
貸しを作ったように思うかもしれませんが、
それは全くのお門違いです。
自分さえ我慢すれば、という考えは、
自分にも、関わる人たちにも、
長い目で見れば非常に毒となる
在り方なのです。
私自身、以前は自分の感じていることを
ひたすら抑圧して、我慢に我慢を重ね、
みんな私のこと何もわかってくれない!
ひどい扱いばかりをしてくる!と
怒りを抱えていました。
自分の気持ちや意見を表現する、というか
むしろ表現すべきだ、しなければならない
という発想自体が無くて、
すごく傷ついてきたし、
周囲にも、この世界にも、そして
生きること自体に失望し、
人生は辛いことばかりだ、と
嘆いていました。
今思えば、もっと自分の思いや気持ち、
意見をちゃんと伝えるべきだったし、
それがとても大切なことだと
知るべきだったな、と思います。
そういうことがきちんと
学べていたなら、
難しい思春期や社会に出てから、
もっと違った道があったかもしれません。
現代日本人は、文化的なものも
大いにあるのでしょうけれど、
自分の気持ちや意見を表現することより、
教育からして周囲に合わせること
みんなと仲良く、強調することを
非常に重視する傾向があるように
思います。
それも必要ないとは言わないし、
大事なことだと思うのですが、
自分を表現することに対する重要性を、
もっと認識し、幼いころから
訓練することも大事だと思います。
そんなことを思いつつ、
昔よりは大分自分の気持ちを
表現できるようになってきたものの、
まだまだ咄嗟の場面では、
一瞬固まってしまうとか、
うまい返し方ができないとか、
不器用なところはありますね。
自分が何を感じ、それに対して
どう応答するのか、というのは、
まさに自分自身を幸せにすることへの
責任なのです。
それを誰かにやってもらおうとする
のではなく、自分の人生の主体者として、
行動しないといけませんね。
セッションでも、そうして
我慢に我慢を重ねて飲み込んできた
思いや気持ちを吐き出していく
ということをよくやりますが、
必ず
自分が感じていた本当の気持ち
(今こんな風に感じたよ)と、
本当はどうして欲しかったのか
(側にいて欲しかった、
もっと親身に話を聞いて欲しかった等)
という2点を吐き出すようにします。
本当のニーズも、捉え方が
なかなか難しい時があって、
構わないでほしいとか消えろとか
ではないんですよね。
その辺り、ちょっとコツが要るのですが、
でもこの本当の気持ちと本当のニースが
きちんと表現できると、心も体も
ホッと緩むのです。
長いこと抑圧し続けてきたものを
開いて行くのは、すぐにできること
ではないかもしれませんが、
あなたの気持ちは、
無視されて良いようなものではなく、
大切に受け取られ、応答されるべき
ものです。
まずは自分自身がそのように
扱ってあげることですね。
ちょっとずつ意識して、
実践していきましょう。