私たちは自分でも知らない内に、
意識が自分から離れて
自分をお留守にすることがあります。
たとえば、
ものすごく辛い状況にあるとき、
意識は肉体をするっと抜けて
天上辺りにいるとか、
どこか別次元に退避している
なんて人もいます。
そんな状態でも、
話しかけられれば応答するし、
身体もそこそこ動くので
無自覚であることも多いです。
けれど、傍から見ていると、
目に力が無かったり、どこか虚ろ
だったりするので、わかる人には
わかります。
一時的にそういう状態になって、
すぐに戻るケースもありますが、
ずっと意識が肉体からズレたままとか、
お留守にしっ放し、というケースも
ありますね。
なぜそんな状態になるのかと言えば、
自分で在りたくないから。あるいは、
ここにいたくないから、です。
強烈な自己否定とか、
恐怖感、厭世意識があると、
なりやすいです。
こういう状態で居ることのメリットは、
自分自身でこの世界に生きる苦痛が
多少なりともマイルドになることです。
自分自身から切り離されているので、
まるで他人事のように自分を見て、
へぇ~、そうなんだ、と捉える
ことができます。
一方、デメリットも当然あって、
自分の人生を生きている実感が無いこと、
生きる力が湧いて来ないので、
情熱もないこと。
留守宅には侵入者が入りやすいのと同じで、
よからぬ者が隙だらけの体に入りやすいこと。
自分が現場におらずあらゆることに
実感が薄いので、判断力が鈍ること。
自身の深奥から来る導きに
繋がれないこと、等々。
自分をお留守にするのは、
一時退避としてはアリかもしれませんが、
ずっとそのまま生き続けるのは、
やはり健全ではないし、
それはそれで辛いことだと思います。
エネルギー的にこういう状態の人を見ると、
肉体と様々なレベルのエネルギーボディの
ポジションがズレているので、
存在の響きが鈍い感じになります。
逆に、在るべきポジションにピタッと
収まっている状態の人は、
存在の響きがクリアにとても奥まで
通る感じがします。
では、どうしたら自分自身に
戻ってこられるのか、ですよね。
この世界で味わった痛みや苦しみの
トラウマを癒せば、この世界で生きる
恐怖心も和らいでいくでしょうし、
自分が嫌いでいじめてしまうなら、
自分いじめを止めて、
自分を無条件で愛せるようになれば、
自身で居ることに安らげるようになります。
結局は、
自分で自身を責め苛んでいることが
この世界で生きることを辛くしている
最大の要因なのですが、
自分いじめが趣味の人、
多いですよね。。。
人から傷つけられるという
イメージを持っている人は、
例外なく、自分が自身を傷つけています。
自分を傷つけるようなあらゆる考え、
想念は呪いになりますが、
自分が嫌いな人は、四六時中、
ことあるごとに自分に呪いを
かけ続けて居るわけです。
そういう人は、
生きることが辛くなってくるから、
大抵、この世界や人生自体も
呪っていますね。
そして、この呪いは、
実はものすご~~~く
良く効いてしまうのです。
今、生きるのが辛いと言っている人は、
良く振り返ってみてください。
あなたやあなた自身の人生、
この世界は呪われている、
と感じますか?
ハートに聞いてみると、
わかります。
自分を呪い、
自分の生きる世界を呪っていたら、
そりゃぁさぞかし人生は
地獄になりますよね。
みな、自分で作り出した世界です。
分かっちゃいるけど止められない、
なんて声も聞こえてきそうですが、
できない、という前に、
そもそも止めようとしてるでしょうか。
自分を呪うのを止める。
少なくとも、傷つけるような態度を
取らない。尊厳ある存在に対する
接し方をする。
というくらいは、
意識しても良いんじゃないかな、
と思います。
自分を愛することが
苦しくて仕方がない人もいますが、
その苦しみから逃げないように。
苦しくとも、逃げなかった、
真摯に向き合い続けたという事実が、
自分への愛の証にもなります。
そういう一歩一歩の歩みが、
自分への憎しみや呪いを
解かしていくでしょう。
いじめっ子が居なくなった世界は、
どんなにか平和で幸せでしょうか。
まずは、
自分がいじめっ子にならないように。
そして、自分こそが、自身の
最大の味方、応援者であるように。
あなたが生きる世界が、
幸せな世界で在りますように。