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さて。
セッションでもプライベートでも、
相手の方に相対する時、
その方自身が抑圧していたり、
否定し、蓋をしていたり、
あるいは、
つい見てしまう弱さや未熟さを越えて、
どこまでその方の可能性を見て
接することが出来るだろうか、
と思うことがあります。
私が勝手にその方に押し付ける
妄想からくる可能性ではなく、
その方自身の魂に刻まれたプログラムからくる
ビジョンというものがもしあるのなら、
それに触れたいと思うのです。
セッションをしていると、
目の前のその方の、様々な人生の、
様々な場面を見ることがあります。
あるときは、
非常に貧乏で才能にも恵まれていない
苦学生の姿があったかと思えば、
別の場面では、非常に有能で才能あふれる
その世界の権威の姿があったり、
ある人生では、最下層の娼館で働く
薄幸の娼婦であったかと思えば、
別の人生では非常に高貴な貴婦人の姿で
社交界の華であったり、
悪行の限りを尽くしたマフィアの幹部が、
別の人生では人々のために命を投げ出した
聖職者であったり。
これらの例は極端なケースかもしれませんが、
今生きているこの人生のこの立場、役職、
能力、境遇のアイデンティティは、
まったくもってかりそめのもの。
その方の本質ではないし、
刹那に閃く、ホログラムのようなものです。
けれども、そこに表れている姿から、
ある種の傾向や癖、願いが見て取れることも
あるでしょう。
その魂の願いともいうべきものを汲み取って、
祝福できたら、と思うのです。
祝福という概念は、
キリスト教文化圏ではない人間にとっては
なかなかに馴染みのない言葉だと思いますが、
私としては、
善きものとしてお祝いする、
というくらいな感じの意味で
使っています。
感情解放のセッションでもよく、
自分にかけた呪いを解いて祝福する
ということをしますが、
これはとても意義深い行為だと
毎回実感します。
この祝福という行為、
身近で体験するとしたら、
例えばお誕生日や七五三、成人式、
結婚式などを思い浮かべてみると
良いでしょう。
自分の誕生や成長を、
誰かが祝ってくれる、というのは、
自分が周囲の人やこの世界に
受け入れられていますよ、
という表れだし、
そのことは、お祝いされる人の心に
とてもポジティブな影響を与えるでしょう。
一方で、祝福もされず、
お前なんかいなければ良かった、
と言われたとしたら、
その人はどれだけ傷つき、悲しみ、
その存在の尊厳を傷つけるでしょうか。
その言葉は、呪いとなって
生涯、生きる力を奪い続けることも
あるでしょう。
その人の可能性、光を
善きものとしてお祝いする
祝福という行為は、
その光をエンパワメントし、
隠れていた力を引き出す助けに
なるのです。
そんな眼差しをもって
相手に接していける人間に
なっていきたいな、と思います。
人に対してそれができるということは、
自分に対してもできているときでしょう。
さて、今現在、私はそれを
自分自身にできているだろうか?
と問うてみると。。。
まだまだできていません。
自身の可能性の光というのは、
言い換えて見れば高次の自分ということであり、
つまりはハイヤーセルフでもありますね。
なるほど、ハイヤーセルフを祝福する
という概念は今までありませんでしたが、
これもやってみる価値はありそうです。
自分の心に迷いが生じたとき、
在るべきところに戻ってくるために、
これはとても有効かもしれません。
こういう閃きも、
ハイヤーセルフからの呼びかけ
でしょうかね。
みなさんも、ぜひやってごらんになって、
何かいいことがあったらこっそり
教えてくださいね。(^^)